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残る神はあと一人

新作レンタル「オーバー・ザ・ブルースカイ」を
鑑賞しましたので、本日はこの作品のレビューをば。

バンドマンとして放蕩な生活をしているディディエは、
ある時偶然出会った刺青師のエリーゼに一目惚れする。
ご多分に漏れず「できちゃった婚」を果たした二人は
メイベルと名づけた娘と幸せな暮らしを満喫していたが、
7歳を迎えた頃彼女が癌に侵されていることが判明する。
治療を重ねても一向に快方に向かわず、しかしメイベルの
幼い身体は抗癌剤投与によってみるみる衰弱していく。
焦りや苛立ちが夫婦の間で口論の機会を増やし、
かつての明るい生活に重い空気が立ち込めはじめる…
というのがおおまかなあらすじ。

「グレート・ビューティー」や「偽りなき者」等と第86回
アカデミー外国語賞の座を争い、惜しくも受賞を
逃したベルギー映画の本作は、邦題につけられた
明るい響きに反し、原題が「The Broken Circle
Breakdown(壊れた輪が瓦解する)」という事実を
再生してから知り、こりゃあちょっとコトだと身構え、
実際かなり戸惑わされることしきりの鬱系映画です。

ボーイ&ガールと言うには少し"とう"が立っていますが、
一組の男女が恋に落ち、幸せの絶頂の時期と
斜陽に差し掛かった以後の時系列を滅茶苦茶に
カットアップし再構築、途中経過をぼかすことで物語の
核心を後回しにしたり時にはミスリードも交えつつ展開
していくドラマというと「(500)日のサマー」を連想させる
作品なのですが、本作では余命いくばくもない娘という
要素が加わることで、もっと切なく救いようのない鬱々
とした話が延々続きいたたまれない気持ちになります。

その上で重要になってくる、本作の一番のテーマである
「彼女の、或いは夫婦の、もっとマクロに言えば人間の
生きる意味とは何か」に対する回答こそが何物にも
代えがたい価値を有していて、それは生命を超えた
宇宙の神秘と奇跡に例えられて言及されます。

それは衰弱しきったメイベルがディディエに恒星の
話をせがむシーンで、彼は「地球の人間の目に光が
届く頃にはその星そのものはもう燃え尽きているかも
しれない」といった話を語るのですが、何万光年もかけた
光が他人の目に飛び込むという自然の奇跡と美しさに
ハッと気付かされるのと同時に、もし人間一人一人が
星のように光を放っているのだとしたら、全く同じことが
言えるのではないかということにも気付かされます。

例え本人が息絶え、やがては誰の心からも忘れ去られる
ことになるだろうとしても、残った光は暫くの間必ず誰かを
照らし続けるというのは、一見単なる綺麗事のようにも
聞こえますが、しかしどんなに自らの身分を偽ろうが、世界の
何処へと逃げ惑おうが、人は誰しもが変わらぬ光を発し続ける
という、運命の見えざる手や残酷な現実をも感じさせます。
だからこそじたばたするのはやめて正直に生き、全てを
あるがままに受け入れようという、諦観を超えた先にある悟りの
ような厳しさと、その奥底にある不動の愛の真実が本作で
説かれているように思え、観客の心に重く深く響いてきます。

暗黒の宇宙の中で蠢いて、あれが悪かった誰が悪かったと
理屈をこねまわし、神に向かって唾棄しようと試みるも
最後にはその存在を否定しきることができず足元にすがる
という、人の持つ弱さと二律背反を描くのは、アカデミーで
同年に監督賞を受賞した「ゼロ・グラビティ」と絶妙にテーマが
重なる部分もあって、科学万能の世界にありながらも天国は
あるのかどうかと語る、進化の途中にある人間のいびつな
様も作品を面白くしているし、近年の人類が抱えている
漠然とした不安や虚無感を反映しているようにも思います。

「生物なんて死んだらただの土塊になるだけだ」という一方で、
「それでも星は輝き続ける」という純然たる事実が、か細い
ながらも一筋の光明としてとても頼もしく心に印象を残す一本。
「別離」や「未来を生きる君たちへ」の流れを汲んだ家族の
ドラマとしてオススメなのですが、それとは別に劇中で
ふんだんに使われる切ないカントリーのしらべも涙を誘います。
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え えらいことや…せ 戦争じゃ…

新作ソフト「ザ・レイド GOKUDO」を鑑賞しましたので、
本日はこの作品のレビューをしたいと思います!

悪のマンションを根城にしていたリヤディは氷山の
一角に過ぎない…更なる巨悪を捕えるため、ラマは
家族にも素性を明かせない特殊潜入捜査官となる。
現在インドネシアには二つの組織、バングン一族と
最近流入してきた日本のヤクザ・ゴトウ組が
激しい縄張り争いで互いのシノギを削りあっていた。
ラマはバングン一家のドラ息子・ウチョに接触するべく、
彼が収容されているという刑務所へ、身分を偽り自ら
収監されるのだが…というのがおおまかなあらすじ。

押し寄せるような圧倒的バイオレンス描写で
観客に強烈なインパクトを叩き込んだインドネシア発の
超肉体派アクション映画「ザ・レイド」の続編である
本作は、暴力に飽いて一線を退きたがっていたはずの
ラマが「とある事件」をきっかけに再び、そしてより激しく
情け容赦のない修羅の道へと歩む様を描いていきます。

ナイフを刺してそこから更に裂き、飛び散る血飛沫!
コンクリや金属に関節を叩きつけ、ひしゃげる人体!
といった本作のウリである「痛々しい描写」や、何処に
いたのかというぐらい次から次に湧いてくる敵キャラの
「アホみたいな物量」も更に輪をかけてパワーアップ!
しかも今回は二大犯罪組織の睨み合いや汚職警官まで
入り乱れた二転三転するストーリーのために、主人公の
潜入捜査官であるラマ以外のシーンでもひたすら
血みどろバトルが繰り広げられていくこととなります!

前回はマンションというソリッドシチュエーションを舞台に
していましたが、今回は一つの都市に飛び出したおかげで
かつてのショウ・ブラ時代のカンフー映画、むしろ「ジミー
アクション」を彷彿させると言ってもいい「環境利用闘法」も
また更に冴え渡っており、部屋の中にあるアイテムや
段差は思いつく限り武器にしようという気概が目に楽しい。
中ボスクラスの敵キャラも個性がつけられ、釘抜き付き
ハンマーは「オールドボーイ」で既にスタイリッシュ武器の
一つとして世間に広く認知されているのはともかく(本当か?)、
金属バットでここまでカッコ良く戦える人とそんな描写を
盛り込もうと思った映画は俺今まで見たことなかったよ!
前回で異様な印象を残したちっさいおっさんが今回も
出てきて「えっ」ってすごい戸惑うんですがどうやら別人設定。
でもあの冴えない風貌と身のこなしのギャップが相変わらず
過ぎる上に彼の描写の尺が無駄に長くてやっぱり戸惑う。
そんな中、「GOKUDO」なんて邦題を冠していながら実は
YAKUZAは賑やかし程度の存在でしかなかったりもするん
ですがそれは角川の宣伝方法が悪いということでご愛嬌。

しかし今回はアクションだけがウリではなく、前述した通り
めまぐるしく変わる状況のストーリー描写も見所があって、
潜入捜査官という薄氷を踏み続ける男の孤独な戦いは
「インファナル・アフェア(私は「ディパーテッド」の方しか
観てなかったりしますけど)」、そしてマフィアの内側の
脆さやそんな人間的な部分に感化されてしまう捜査官
というソフトな質感は「イースタン・プロミス」を連想するし、
男たちの熱い友情を描いたドラマと、終盤の壮大な
大立ち回りでも決して死なないヒーローのアクションが
織りなすアジアのノワールの臭いという意味では
「挽歌」シリーズへのリスペクトもあるように思えます。
数々の過去作品を踏まえた上で全く新しい世界観を
提示しているのは、かつてタランティーノが「キルビル」で
見せたイノベーションと同様の空気を感じますが、
この辺に関しては、未だにヤクザがドス持って闊歩
してるし武人にはあくまで銃ではなく武術でケリをつける
という、ポストモダン的手法に起因しているのかなと。

このイカれた世界とド迫力の変態アクションを見てると、
「龍が如く」の世界観を完璧に表現できてると思うし(前回は
「ダイナマイト刑事」だったので、セガワールドすぎる…)、
ニンジャスレイヤーとか実写化するなら下手な日本人や
よしんばハリウッドよりこの監督に任せた方がずっと
原作に忠実かつすごく面白いもの撮れそうな予感がする。

アクションとドラマ、異なる味の両面が緻密に計算され
絶妙なハーモニーを醸しだしているので、中だるみ
することなくどちらも楽しめる作りになっている本作品。
色々細かい部分に突っ込みを入れようと思えばできるの
かもしれないけれど、そんなことするだけ野暮なエンタメ
方向に吹っ切れた実に充実した150分の大作映画でした。
つか、ロケやセット、スタントはもとより高級車を
ガンガン潰したりして、ほんと金かかってんなこれ!

Do your job.

新作レンタル「フューリー」を鑑賞しましたので、
本日はこの作品のレビューをしたいと思います!

時は1945年、第二次世界大戦末期。
ベルリン侵攻も大詰めを迎えたものの独軍の抵抗は
激しく、また米軍の戦車技術は独軍に比べ大きく
劣っており、地上戦においては苦戦を強いられていた。
"フューリー号"を駆る優秀な戦車長・ドンの隊もまた、
決死の戦線維持に疲弊し、窮地に追いやられていく…
というのがおおまかなあらすじ。

同年に「サボタージュ」も撮り、今まさにノリにノッている
監督、デヴィッド・エアーが手がけた、第二次大戦を
舞台に戦車をテーマとした超大作戦争映画の本作品。
主演には「イングロリアス・バスターズ」でも壮絶な
”ネイジー・キラー”を演じたブラッド・ピットが、
ここでもまた狂気の軍人・ドンとしてキャスティング。

話の筋としては、影の主役とも言える新兵の
ノーマンがドンの戦車隊に配属され、ウブな彼が
戦争と人の織りなす残酷な現実に蹂躙され、やがて
その狂気にズブズブ呑み込まれていく…という内容。

血飛沫や肉片に嘔吐し、いくら敵だとは言え自分と
同じように生きる人間を撃てないと反応するのは
人として当たり前で普通のことなはずなのに、
それをよしとせずに無理やり引き金を弾かせ、人を
殺させた後に「何か物を食っておけ、保たないぞ」と
さも当然のように吐き捨てるように言う男・ドン。

それこそが戦争における日常と言ってしまうのは
簡単ですが、一度汚れてしまった人間が綺麗な
他人を自分と同じ深淵の底に引きずり込もうという、
暗く陰湿な意図も汲み取れるように思えます。
ところが一方ではまるで罪滅ぼしをするかのように
ささやかな幸せと休息の一時を提供し、彼の仲間も
時として非道を行った後ふと我に帰り、非礼に対し
心の底から素直に謝罪の言葉を口にしたりする。

なんでもない、どこにでもいるような一般人こそが
戦争の狂気に駆り立てられ、とんでもない残酷な
ことをするものだ…とは残酷時代劇小説で知られる
南條範夫先生の仰るところに限らず、当時の戦争
体験記では定型句のように耳にする言葉ですが、
本作もまた人間の表と裏、どちらも真実であり本性と
言える姿をありありと浮き彫りにしていきます。

太宰だったか坂口安吾だったかは失念しましたが、
小説の中で「空襲で焼けた人間の死体の山も、
見慣れてくると焼き鳥が並べられているのと大差
ない」という表現がよく印象に残っているのですが、
戦争というのも暗黒の宇宙の中で蛆虫のような
人間たちがもぞもぞとただ蠢いているようなもので、
しかし最後に人々がすがるのは神の威光であり、
そこが人間という生き物の面白いところで、そして
また我々に残された最後の希望のように思います。

そんなドラマはさておき、一度戦闘パートに入ると
一糸乱れぬ隊列で敵部隊を圧倒し、まるで
レーザー銃のように飛び交う閃光弾とド派手な
爆発と共にボロ切れのように吹き飛ぶ人体を
観ていると「なんだか楽しいことをやっている」
ように思えてきて、スリル溢れる興奮と不謹慎な
喜びで脳内をアドレナリンが駆け巡ります。
恐らく実際に敢えてエンタメ方向に振ったスタイルで
撮っているとは思うのですが、まるで良心の欠片も
感じさせない無慈悲な光景を前に「見ちゃいけない
ものを見せられている」感が、人間の二面性という
テーマをアクション面からもアピールできているし、
複雑な気持ちや奇妙な高揚感を掻き立ててきます。

トータルで見るとドラマもアクションもエンタメに
振り切れていて、とりあえず「ナチをブッ殺そうぜ
イエー!」って話に終始してるので、面白いには
面白いけどこれ深く突っ込んだら負けだなって
思うとこ多いしアカデミー最有力候補!みたいな
ウリもなんか違うなーと思ったりしました。
なんというか、ナチというエイリアンがいて、
それを倒す正義の味方がいてというストーリーで、
第二次大戦のガワを被せているだけの話なんで、
戦争映画という括りという気も実はしなかったり。
いや、ホントにすげえ面白い映画でしたけども!

ミリオタではないので戦車とか兵装とかさっぱり
わからないのですが、べらぼうにキルレシオが
高い出鱈目な強さのティーガーとか笑けてくるので、
エンタメアクションとか期待して観ると、というか
そっち目的の方が楽しめる映画かもしんないですね。

あとフューリー隊の一人、通称"バイブル"の役が
シャイア・ラブーフだったとエンドロール観て知ったん
ですけど、トランスフォーマーやウォールストリートの
頃のベビーフェイスとは打って変わり過ぎて全く
気付かなかったっていうかえ?人種も変わった?
ってぐらい面相違いすぎて全く気づかんかった…

フランクを探せ

新作レンタル「FRANK」を鑑賞しましたので、
本日はこの作品のレビューをしたいと思います!

アーティスト志望のサラリーマン・ジョンは、地元へ
ライブにやってきたバンド「ソロンフォルブス」の
キーボードが入水自殺を図ろうとしている現場に
偶然居合わせ、同じくバンドメンバーの一人・
ドンから穴を埋めるべく助っ人を頼まれる。
状況に流されるままに場末のライブ会場へ
辿り着くと、奇妙な被り物がステージに現れ、
前衛的な音楽と共に突如女が怒り狂い、ものの
数分でライブと彼のデビューは幕を閉じる。
それから数日後、被り物の男…「フランク」が
ジョンを気に入ったとして、バンドから彼に向け
メンバー加入のオファーが舞い込むのだった…
というのがおおまかなあらすじ。

インディーやアングラといった言葉の似合う
前衛バンドの確執や衝突の行く末を描いた本作品。
マイケル・ファスベンダーが才能溢れる精神病者の
主人公・フランクを演じているということですが、
作中の大半で被り物をしているので彼だとは
わからないし、そもそも彼って良い意味で地味で
目立たない性格俳優なので、今回もエンドロール
見るまで彼が主演してたことに気付きませんでした!

さて、今で言うところのポストロックな音楽を追求する
「ソロンフォルブス」へ、密かに野心溢れるジョンが
加入することによってバンドメンバーの間で徐々に
亀裂が発生していく…という、この手の話では
紋切り型な展開を見せていくわけですが、バンドに
とってもファンにとっても「メジャー化」や「ポップ化」の
問題は避けて通ることのできない話であり、
「このバンドもクソになっちまったな!」という言葉は
現実でよく耳にするだけに切実に心に響きます。

しかし商業で成功するのが悪いことなのか?と
言えば、ひたすらに自己実現を求めて地下に潜り
続けるかどうかはバンドやメンバーの方向性の
問題でしかないし、ジョンが自らの私財を投入
してまでバンドの存続を希望する以上は、「売れる
ための音楽」を作ることにも意義や正当性は
あって然るべきだし、更に加えて言うならば、
彼のワナビーから脱却しきれていない承認欲求も
創作者ならば誰もが根本からは否定することが
できない、むしろある程度は許容するべき要素の
一つであって、単純にどっちが正しいか、誰が悪いか
という話で割り切れるものでは決してありません。

ところがツイッターやyoutubeを用いた現代の
地道な活動が、結果として彼らの音楽とその
才能云々を差し置いて過激なパフォーマンス
だけが独り歩きしてしまい、ジョン自身が望んだ
本来の「売り方」とはかけ離れてしまうという
展開も現実ではあるあるすぎるし、その着眼点と
悲劇がまた興味深く、観客を惹きつけます。

本作は「自分の居場所探し」の物語でもあるので、
ジョンは今回たまたま「ソロンフォルブス」の
空気に合わなかったというだけで、実は後年
彼らを遥かに超えるメジャーデビューを果たす
ことになるかもしれないし、ソロンフォルブスも
数年や数十年、半世紀後のサブカル好きから
「こんなコアなネタがある」と扱われるかもしれない。
「インサイド・ルーウィン・デイビス」や「ジャージー
ボーイズ」でも描かれた通り、音楽の流行り廃りは
所詮時代の趨勢に寄りかかったものでしかないし、
彼らが成功したと言えるのか、今後成功しそうか
どうかの是非は問うべきではないし、それぞれの
姿勢や言い分に好意的な評価を下したいものです。

マスクの男という掴みについては(実際の話、これが
気になって私は全く前情報なしに借りて観ましたし)、
単純にビジュアルでアピールするという以上に「フランク
という存在になりたくてなれなかった者たち」或いは
「フランクなんて最初からいなかったんじゃないか」という
アイコン的な話にも展開していくので、突飛なだけで
終わらない脚本はよく練られていると感じました。
というか、このフランクという男やそのバンド自体が
実話を元に原作が書かれているということを知り驚愕。
はぁ~…事実は小説よりも奇なりすなぁ~…

メジャーとかくだらねえぜ!やっぱオルタナ、
アングラは最高だぜー!って高二病・大二病を
かつて発症させた人は決して少なくないだろうし、
「スパイナル・タップ」も連想させる、瓦解していく
バンドのドロドロの愛憎劇を描いた楽屋裏を覗く
楽しみもあるということで、ちょっとオタ寄りの
音楽を少しでも嗜んだ人なれば、何かしら
琴線に触れる要素を結構含んでいる気がします。

国民総幸福量

新作レンタル「めぐり逢わせのお弁当」を鑑賞
しましたので、本日はこの作品のレビューをば!

定年を目前に控えた事務員のサージャンは
妻に先立たれており、友人と呼べる者もおらず、
真面目だけが取り柄の面白味のない男だった。
そんなある時、弁当配達人の手違いから
全く知らない女性の手作り弁当が彼の手元に
届くが、彼はその料理の美味さに驚嘆する。
一方、弁当を作った当の本人・イラは夫との
仲が冷えきっており、夫は彼女の弁当が他人の
物と入れ替わっていることにさえ気づかない始末。
やがて彼女は、舐めるように弁当を綺麗に平らげて
くれる、顔も知らない相手へ好意を寄せるようになり、
いつしか二人は弁当箱を通じ文通を始めるように
なるのだが…というのがおおまかなあらすじ。

高度に構築されたシステムにより、愛妻弁当や
仕出し弁当を現場に届ける「弁当配達人」が庶民の
間で当然のビジネスとして実際に成り立っている
というインドを舞台に、宝くじに当選する確率並の
ミスから生じた誤配が機で、本来ならば一生
知り合うことなどなかったはずの一組の男女の
心の交流を描いたヒューマン・ドラマの本作品。

陽気に歌って踊れるインド映画というイメージも
最近はもう時代遅れなステレオタイプのイメージで、
陽気さや歌と踊りから離れたドラマ性の高い
作品も数多く世に送り出されるようになりました。
恐るべしインド。

そんな本作で浮き彫りになっていくのは、昨今の
インド映画では最早避けられないテーマからご多分に
漏れず、高度経済成長による社会の急激な変化に
人間の進化が追いついていけない現状であり、それは
「きっと、うまくいく」でも描かれた、行き過ぎた学歴
社会の弊害であったり、「マダム・イン・ニューヨーク」の
「女は家庭で料理さえ作っていればいいのか」という
封建的な家庭の構造への疑問の投げかけだったりして、
世界中の何処であっても、一定の文明度を持つと必ず
共通の問題が起きるようになるのは非常に興味深い
ものがありますが、それ以上に我々もまた同じ悩みを
抱える者として、シンパシーを感じずにはいられません。
都会には大勢の人間が往来していて、通勤ラッシュには
寿司詰め車両で立ったまま窮屈に揺られているのに、
どうして会社では俯いてぼっち飯することを強いられて
いるんだろう…という孤独を改めて映像からまざまざと
見せつけられると、恐怖と戦慄で気が狂いそうになります。

そんな孤独への癒やしとして「美味しい物食ってれば
人はそれだけで幸せになれるんだ」と思わずにいられない
食事シーンはこちらの腹まで減ってくること必至ですが、
それでもなお時が流れるに連れ、人には老いや死といった
ネガティブな感情と逃れられない現実が突きつけられます。
それらを転機として重要になってくるのが、アジア的な
価値観というか幸福論というべきか、「袖振り合うも
多生の縁」を尊重する「ささやかさ」や「奥ゆかしさ」に
あって、必ずしも自分の欲望に忠実になることと、そのために
直進することが正しいとは限らないという「儚さ」が、本作に
花のように切ない美しさを与えているような気がします。

「電車を乗り間違えたはずが思わぬ場所に辿り着く
こともある」とする一方で、結局は乗り間違えたことには
変わりなく、本来の目的地とやはり違うのではないか
とも問いかけ、自分の明るい先行きについてあれこれ
妄想するのは楽しいけれど、それは眼前の辛い現実から
目を逸らして逃避しているだけなのではないか…等と
言った理屈のこねあいが禅問答のようにぐるぐる回り、
果たしてどんな選択を取るのが正しかったのか、一体誰が
悪かったのかがわからなければ、二人の辿る明確な結末も
ぼやかされたままに作品はエンドロールを迎えることで、
最終的にその答えを出すのは観客自身に委ねられます。

トロイア戦争のきっかけとなったパリスとヘレネーのように、
互いの快楽のために他の全てをかなぐり捨てることも
できるだろうけれど…しかしサージャンとイラにはやっぱり
それはできないだろうと思うのも私個人の解釈に過ぎなくて、
何を幸せとするか、どうすれば幸せなのかという話そのもの
さえも一人一人が判断せざるを得ないので、ラストの描写
含めてかなり賛否の分かれる作品のようですが、理屈を
こねて走り回る話が大好きな私にはかなり空気が合いました。
得体の知れない、ぼんやりモヤモヤした「漠然とした不安」
から逃げ回りながら幸せを求めて駆けずり回るのに、
どうしても幸せになれない人々を描いた話というと、
どこか「別離」にも似た質感を持った作品ですので、
すごくアンニュイな気分を味わいたいなら超オススメ。

生き残るのは盗んだ奴ただ一人!

新作レンタル「サボタージュ」を鑑賞しましたので、
本日はこの作品のレビューをしたいと思います!

はぐれ者・荒くれ者どもを束ね数々の修羅場を
くぐり抜けてきた麻薬取締局捜査官のジョンは
「神」と称され、その名を知らぬ者はいなかった。
ある時、彼らの部隊はとあるヤマで麻薬組織から
1000万ドルを押収した際、後日隠し場所へ回収に
向かうと、大金は忽然とその姿を消していた。
局は隊員たちに嫌疑をかけ尋問を行うが、その
最中で政府上部から突如謎の圧力がかかり、
彼らは処分もうやむやに復隊を許可される。
しかし隊の誰もが「誰かが金を独り占めしている」
という不信感を募らせ、疑心暗鬼に陥っている
ところへ、追い打ちをかけるようにして隊員たちは
一人、また一人の不可解な死を遂げていく…
というのがおおまかなあらすじ。

「トレーニング・デイ」の脚本家として知られ、
最近では「エンド・オブ・ウォッチ」等の監督業も
こなしマルチな才能を発揮するデヴィッド・エアーが
今回挑んだのは、アガサ・クリスティの「そして
誰もいなくなった」をベースにしつつも、アーノルド・
シュワルツェネッガーを主演に据えあまりに大胆
すぎるアレンジを加えたというサスペンス・スリラー。

殺し屋かはたまたギャングか、見た目も行動も
最早どちらがヤクザかわからない愚連隊が
消えた大金を巡っていがみ合い、果たして誰が
盗んだ張本人でその真相や如何に…ってな話な
わけですが、オープニングから展開される理不尽で
ショッキングな拷問シーンは観客の目を引くと
同時に当然これが伏線に繋がっていて、中盤から
更にグズグズになっていく人間関係と、その裏で
密かに、そして着実に積み上げられている陰謀の
臭いから、最終的な展開や犯人はある程度、いや
もしくはかなり予想のつく範囲に留まっています。

一応サスペンス・スリラーの体を繕うフリはしていても、
中盤以降は「もうみんな、わかってるよね?」と言わん
ばかりにそれはそれとして終盤はマッシブな肉体派
路線に舵を切るという、このある種の安易とも言える
安定感こそが実は「シュワ映画」として肝要な部分
と思えるし、そういう意味では本作もまたまごうかたなき
正しきシュワ映画の一本として数えて良いのでは?

とは言えキャストがみんな曲者揃いなのが話としても
視覚的にも色を添えているポイントで、隊員には
「T4」である意味共演を果たしているサム・ワーシントン、
「デッドマン・ダウン」や「プリズナーズ」の記憶も
新しいテレンス・ハワード、「パシフィック・リム」で
一躍有名になったマックス・マルティーニと、個性的な
キャラをした彼らのぶつかり合いを眺めているうちに、
「あれ?ひょっとしてこの中の誰かが重要な役回り?」と
錯覚していくのですが、それはそれとして並み居る
面子を押しのけて「バカ野郎主役は俺だよ!」と
ばかりにシュワが一人勝ちをかっさらっていくのが
もうズルいというか面白いというかひどいというか。

見所はあるし見応えもあって、「やっぱりなんだよ
ただのシュワ映画じゃねえか!」というストライクを
キッチリ決めてくれる手堅い作品なのですが、その
堅実さやストライクのための変化球が多少仇に
なっている部分もあり、天然加減やド直球具合が
足りない分突き抜けた出鱈目な面白さは減速気味。
そうは言っても、頭脳派のフリしてフィジカルに
全フリしてた面白映画「大脱出」に並んで、話の
タネにはなるだろうしイロモノ映画好きやシュワの
ファンなら本作も観ておいてきっと損はないはず!
プロフィール

マイケル・チバ

Author:マイケル・チバ
シルバーレイン
マイケル・チバ(b30277)
薬師寺・米(b41960)
を経て、
現在はエンドブレイカー!
マーヴィン・ジェント(c06527)
にて稼動中。

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