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心のコンパス

「酒を飲む時は女とキスをする時がどうたれ」
とか言いながら吸血鬼と戦う方じゃない方の
「リンカーン」を観ましたので本日はこの作品の
レビューを行いたいと思います!

1865年、アメリカ第16代目大統領となったリンカーンは
二度目の再選を果たすが、その間にも四年もの歳月を
かけ未だに終わらない南北戦争に国民は辟易していた。
黒人奴隷の解放を己の責務とするリンカーンは、
奴隷制の根幹に関わる憲法修正第十三条こそが
戦争を終結させる方便になるとして、この機に乗じて
票のかき集めに奮起するが、奴隷制を当然のものとする
南側民主党員の結束は未だ堅く、また北軍有利の情勢は
憲法修正を目前に戦争を集結へと導こうとしており、
彼は苦境へと追い込まれていく…というのがあらすじ。

巨匠スティーブン・スピルバーグが今回描いたのは、
アメリカの歴史に置いて最早語ることは外せない
「リンカーン」が、命を懸けて臨んだ最後の4ヶ月。
主演は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の
アカデミー賞俳優ダニエル・デイ=ルイスで、本作を
経て史上初三度の男優賞受賞を果たしたそうな。

さて、そんな本作は主に下院議院の机上で話が
進められていくのですが、作中でも台詞として語られる
「アメリカで最も純粋な男が仕掛けた工作」という
構成の展開が面白く、ただ理想を追い求めるだけでは
何も変えられないという現実自体はわかっている男、
リンカーンが魑魅魍魎渦巻く下院議院からわずかな
票をかき集めるため、時にはロビイストを仕掛け、
時には南北和平の締結をも遅延させるという、
綺麗事だけでは済まないポリティカルドラマに注目。

それらを通じてテーマとして存在するのが、
真の自由と平和を勝ち取るという崇高な理念のために
捨てていい、或いは捨てなければならない、もしくは
捨ててはならないそれぞれの「矜持」であり、
それは最終的に「人間らしくあるとはどういうことか」
という、単純にして根本的な問題に繋がっていきます。

作中ではリンカーンが先人たちから様々な引用をして
含蓄ある教養の高いプレイをかましてくれるのですが、
独立戦争終結時に米国軍人が英国貴族に招かれた際、
便所にジョージ・ワシントンの肖像画が飾られていたのを
見たという逸話が特に興味深く、これこそが本作を表して
いると同時に人間の真理で、一個の人間として重要
なのは「相手を敬うこと」これに限ると思うのですよ。
例え相対する敵だとしても、その相手が強大であれば
あるほどより深く敬意を表するべきであり、喜んでクソを
かけるような真似は、誰からも尊敬などされようもない
馬鹿げたけだものへと自らを貶める行為に他ならない。
だからこそ、北だから南だから、白人だから黒人だから
などという垣根を超えなければならないのだと。

しかし、本作で焦点が当てられているのはあくまで
「奴隷解放宣言」及び「憲法修正第十三条」であり、
リンカーンという偉大な男がいた、という事実の
ノスタルジーに浸り、昨今の世界の不安定な情勢を前に、
ああ、今こそ彼のような英雄が、救世主が存在して
いたらなあ、という熱望で観客が完結してしまうと
したら危ういことで、「じゃあ我々国民は何をしたら
いいの?」という点については特に語られていない
ことが本作品における残念な部分かもしれません。

話は変わってキャスト面ですが、「ゼア・ウィル~」での
強欲な大富豪から打って変わって「アメリカの良心」を
演ずることになったダニエル・デイ=ルイスは
アカデミーも納得の安定した力量、全く自己主張をしない
オーラで佇み「なんとなくそこにいる」というだけで
人々が自然に惹きつけられていく繊細な男を好演。
一方でその異様な風貌と過激な言動から強烈な印象を残す、
彼とは全くの対照的なキャラとして登場するのが、
共和党員の重鎮としてリンカーンとは似て非なる「平等」を
掲げ、最強の矛にも獅子身中の虫にも成り得る曲者・
スティーブンスで、彼を演じるはトミー・リー・ジョーンズ。
二人がそれぞれイデオロギーを懸けた対立や時には
同じ目的のために熱い火花を散らす上で、激しい感情を
露にする時は揃って似たようなクソコテに変貌する
というのに吹かされ、この演出はルイスとジョーンズ
二大名優なくしては表現できなかったと思います。

最後まで通して観た感想としては、歴史偉人伝記モノ
として非常によく出来ているし、楽しめたんですが、
アメリカ国民にとっては「私達はなんて素晴らしい国に
生まれたんだ」とプロパガンダ的に優れていても、
所詮こっちは海一つ隔てた日本人なので「ふーん」で
流せてしまう部分も結構大きい気がします。
例え嫌な奴とか無感動な奴とか言われようとも。
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こんなことして一体何になるっていうの!?

カルト作品と言って差し支えないと思われる
77年の映画「ローリング・サンダー」が
レンタルDVDとしてようやくリリース、早速
鑑賞しましたので本日はこの作品のレビューをば!

ベトナム戦争で7年もの間、ハノイの収容所で
拷問を受けてきたチャーリー少佐が帰郷する。
彼が地元で英雄扱いを受ける一方で、彼不在の
年月は妻の心を既に他の男に動かそうとしていた。
そんなある時、町から記念にと贈呈された2500ドル
相当の銀貨が原因となり、強盗団が彼の元に現れる。
拷問の末に右手を失い、妻と息子共々銃弾を
浴びせられた彼は、奇跡的に一人生き残ってしまう。
理不尽な暴力に全てを奪われた彼は、六週間の間
誰にも何も語らず、ただひたすら回復に専念していた。
己に復讐の瞬間が訪れることを信じて―――
というのがおおまかなあらすじ。

「タクシードライバー」の脚本で知られるポール・
シュレーダーが、ベトナム帰還兵のやり場のない
怒りと暴力を再び脚本にしたためた本作品。
クエンティン・タランティーノが「最も影響を
受けた作品の一つ」として本作を敬愛するのも
納得で、描かれるテーマは「復讐」の二文字。

主人公のチャーリーは「タクシードライバー」の
トラヴィス同様に何を考えているのかさっぱり
わからないキチガイさんなのですが、生きる意味を
失いかけていた彼が、強盗に家族を奪われることで
魂が死ぬことにより、結果として生きる理由を
与えられてしまうという矛盾の構図がお見事。
「何をやってるのかさっぱりわからないけれども
何がやりたいのかはわかる」というはち切れそうな
エネルギーがスクリーンに充満し、圧倒されます。

当時のムーブメントが微妙に移ろいつつある、77年という
空気の中で製作・公開されたというこのタイミングこそ、
実は本作をカルトに仕立てあげた要因になっていると
言っても過言ではなくて、60年代から70年代初頭まで、
例えば「片腕カンフー」の香港武侠、「座頭市」の
日本時代劇、「殺しが静かにやってくる」のイタリア
マカロニと言った具合に、世界中でフリークスが
血みどろの復讐譚を繰り広げる一方で、70年代後半から
アメリカがベトナム戦争により受けた深い失望感が
原因で生まれた「アメリカンニューシネマ」、その二つの
要素が複雑に絡み合い、気だるげでムーディーな
ロードムービーの様相を見せつつも、その実義手の
キチガイ元軍人が復讐の行脚を繰り広げるという
怪作が生み落ちる結果となったのではないでしょうか。

リベンジムービーというと、昨今はとかく復讐の理由に
あれこれ趣向を凝らしたり、その一方で「復讐は何も
生み出さない」みたいな自問自答を込めてうざったい
遠回りをしがちなので、「もう何も残されてないんだから
復讐で殺すしかないんだ」という一本気はかえって
観客の目には新鮮に映り、気持ちのいいものですね!
このぐらいスカッとした内容とノリを現代に堂々と
持ち込めるのは、タランティーノを除けばトニー・
スコットぐらいなもので、彼が鬼籍に入ってしまった
ことは映画界に大きな損失だったと改めて思います。

一見、タクシードライバーのいかにもな二番煎じという
言い方ができたり、凡庸なB級作品と切り捨てることだって
できるのかもしれませんが、「キチガイフリークスの
復讐ロードムービー」という、ドス黒いコールタールが
ぐつぐつと煮えくり返っているような濃い内容が
奇跡のバランスで成り立っている本作品、カルトや
怪作と呼ぶには十分なパワーを秘めています。

Go back to hell

新作ソフトレンタル開始にあたり「ゴーストライダー」
1&2を一気観したので本日はこの作品のレビューをば。

まずは「ゴーストライダー」無印。
全身に癌が転移してしまった父親を救いたい一心で
悪魔メフィストと「契約」を交わしたスタントバイカー、
ジョニー・ブレイズが「ゴーストライダー」となり、
メフィストの息子にして地上を地獄に変えようと
目論む悪魔・ブラックハートの野望を阻止するお話。

マーベル・コミックスのアンチヒーロー的な側面も
持ったキャラクターの一人、ゴーストライダーを
映像化した本作品、オープニングの若ジョニーの
チャイルディッシュな外見は非常に好感が持てるの
ですが、これがなんでニコラスケイジになって
しまうのかというのが本作品唯一そして最大の疑問!

ゴーストライダーのオリジンにはじまり、ジョニーが
内なる悪魔と闘い、そして如何に正義のヒーローとして
ライダーと共存していくかの苦悩というドラマと、
炎とチェーンとバイクを武器にした破壊の化身・
ゴーストライダーの迫力のバイオレンスアクションは
なかなか見応えがあるだけに、ほんと何故ケイジ。

一連のジョス・ウィードン作品を連想させるような、
テンポの良いギャグ一歩手前な展開が心地よく、特に
ブラックハートさんの三人の部下が「フゥハハー
ゴーストライダーめ馬鹿な奴よ!→えっちょっまっ
やめっ…お願っ…→いやーめっちゃあっついー!」と
瞬殺される展開を天丼してくるのには腹筋が崩壊。

噂で聞いていたほど特撮やVFXに予算かかっていない
というわけでもなく、十分楽しめる作品だと思います。
ケイジも「うっ…しずまれ俺の右手…!」という
アメコミキャラとしては申し分のないコミカルな
迫真の演技を披露していて、これが本当に外見が
ああでさえなければハマり役なんですけどね…。
演技力自体は評価に値するし、ケイジじゃなかったら
凡庸な作品として埋もれてただろうから複雑な気分。

そして「ゴーストライダー2」。
自らの内なる悪魔から逃げるように世界各地を
転々としていたジョニーは、モローという男から
「お前の身体を元に戻してやる」と言われる。
交換条件としてダニーという少年を一定期間
守りぬくことを提示されるが、少年を狙う者こそ
ジョニーを「ゴーストライダー」に変えたあの
「悪魔」だった…というお話。

前作で永遠を誓い合った恋人・ロクサーヌは
綺麗さっぱり「なかったこと」にされていることに
端を発して、微妙にオリジンや設定に改変を加え
られているので、厳密には続編とも言い難い本作。

加えて前作の半分程度の予算しか引っ張ってこれ
なかったということで、演出が殆ど半分ヤケクソ
気味に振り切れているのが特徴で、特に「ううっ…
ヤメロー!ヤメロー!ライダーヤメロー!」と
ヘラヘラ笑いながらのたうつという迫真の演技を
披露するケイジは内なるナラクニンジャと闘う
ニンジャスレイヤーことフジキドケンジが
まるで現世に顕現したようでもある!タツジン!

ハンドルのある乗り物ならなんでも「火炎属性
付与(エンチャントファイア)」できるように
設定変更されたゴーストライダーに対する予算の
使い所もなかなか弁えていて、特に中盤の重機を
用いたブチ切れ金剛バトルだけでも本作を観る
価値アリ、終盤のカーチェイスもカッコイイよ!

ドラマ部分に関してはロクサーヌがオミット
されてしまったということがまずガックリ、
各キャラの書き込みが薄くてあんまり感情移入
できなかったり、演出に関しては「どんな物も
腐敗させられる能力」を付与された元人間の悪魔・
キャリガンが「トゥインキーだけは腐らせられ
なかった」ってネタは本当に必要だったの!?
とか、結構荒い作りをしてるので、この辺
かなーり観る人によって好き嫌い分かれそう。
そういやゴーストライダーの契約者である
悪魔もメフィストからロアークに改変されたので、
版権どっかに持っていかれたとかなのかしら。

二作通して観た印象だと、1の方が真っ当なヒーロー
ものとしてボンクラしていて個人的には好きなのですが
(2がボンクラでないという意味ではない)、同時に
燃え盛るバイクに跨るパンクファッションのドクロが
ケタケタ笑いながらチェーンを振り回すというヘビー
メタルな絵面は、一周回ってカッコ良く映えますね。

版権がディズニーに移ったということで、今後は
アベンジャーズたちのシネマユニバースに登場しない
ということもないわけで、その意味も踏まえて
マーベルヒーロー好きならこれも予習程度には
観ておいても損はないと思いましたよ!

毒に乾杯

新作ソフト「ザ・マスター」を鑑賞しましたので
本日はこの作品のレビューをしたいと思います!

第二次大戦中に水兵として従軍したフレディは
アルコールが原因で心身を壊し、終戦後も
定職にありつけず各地を転々としていた。
ある時、何かのパーティ会場らしい客船へと
気まぐれで忍び込んだ彼は、その団体から
「マスター」と呼ばれている、恰幅の良い
初老の中年と面会を果たすこととなる。
オカルトの自己啓発セミナーを行う集団で
あることを知ったフレディは、最初冷やかし
半分で彼らの「治療」を眺めていたものの、
マスターの奇妙な魅力に惹きつけられた彼は、
徐々に自らも会員として積極的に活動へ参加
するようになり始める…というのがあらすじ。

「マグノリア」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」で
知られるポール・トーマス・アンダーソン監督の
最新作は、アル中の無職がオカルト団体のリーダーと
奇妙な縁で知り合い、やがては複雑で深い友情を
育んでいくこととなる異色のヒューマンドラマ。

主演のフレディにはホアキン・フェニックス、助演の
「マスター」には監督作品ではお馴染みフィリップ・
シーモア・ホフマンで、舞台設定的にはコメディにも
成り得るし、配役的にはサスペンス・ホラー一歩
手前な本作品はギリギリの危ういバランスで友情
ドラマに踏みとどまっているのですが、その本作に
おいて監督がテーマにしたかったのは、前作同様に
「魂の拠り所と救済とは何か」ではないでしょうか。

オカルトや宗教にとって「鰯の頭も信心から」という
慣用句は切っても切れない関係にあると思いますが、
オープニングで精神科医の治療を受けるフレディが
見せられる「ロールシャッハテスト」こそが
本作のある種の答えを提示していて、人々は
様々な模様に自分の悩みや願望を投影し、まるで
そこに意味や価値があるようにこじつけるが、
その実インクを落としたただの紙に過ぎないわけです。

マスター自身は己が善良なる者として、信念と
自信を持って自らの治療法を打ち出す傍ら、
「信者」個人々々が求めるもの、目指したものは
微妙に彼の「それ」とは異なり、そしてまた
信奉者が増え、その深みが増すほどにパラノイア
としての傾向が強まり、フレディもその空気に
呑み込まれていく…というカルトの構図が面白い。

その一方で最終的に描かれるのが「人間性」と
「理性」の問題で、オカルトとはまた別の次元で
性善であるマスターと、自由人として生まれる
定めにあったフレディ、お互いが欲していながら
決して手に入れることの叶わぬものを持っている
という憧れによる心の交流と、そこから転じて
「いつまでも自分の側にいて欲しいと願うが、
誰の下にも仕えないことが君が君である理由だ」
という優しさと愛、友情故の矛盾と苦悩、
更には「過程はどうあれ二人のやってきたことは
無駄ではなかった」という結果がありがたい…。
「ゼア・ウィル~」では無限の漆黒に堕ち
ドス黒い魂に変貌させられてしまった一人の男の
悲哀を描きましたが、今回正しく「救済」の道を
提示してくれたのは観客として本当救われる。

アメリカ横断による布教活動を通し二人の友情を
描くということで、時にバディ系ロードムービーの
ような様相を示す作品でもあるのですが、最近
意識するのが「三十年周期」という言葉でして。
物語の舞台が終戦間もない50年代、そしてアメリカン・
ニューシネマが全盛の80年代はベトナムや東西冷戦に
世界が揺れ、そして2010年代の今も地球は明日にも消滅
してしまうかもしれない不安定な情勢を見せている。
今改めて世界とその人々が感じるどん詰まりの気配と、
それに押しつぶされそうになっている苦痛の叫び声を
受けて、ポール・トーマス・アンダーソンという男を
通じ本作が形作られたのは、流れとしてある種の
必然だったように思えて仕方ないのです。

スピリチュアルな題材を扱っておきながら、
根底にある人間性の対決・対立を描き、また
ホアキンとホフマンがすんげえイチャイチャする
話なんですが、ホモとかゲイとかそういう方向に
走るわけでもない、「安易な逃げ」を打たない監督の
いつものカッチリした作りにも好感を覚えます。
相変わらず受け手に解釈のほぼ全てをブン投げた作品
なので、これまた万人向けでも全然ないのですが、
監督のファンなら今回も観て損はないし、奇妙で強烈な
印象を残すカルト作として人気を博すこと間違いなし。

L.A.へようこそ!

新作ソフト「L.A.ギャングストーリー」を鑑賞
しましたので本日はこの作品のレビューをば。

1949年、終戦から間もないL.A.はギャングの
ミッキーに牛耳られ腐敗を極めていた。
彼の買収にただ一人応じないパーカー本部長は
この事態を打開すべく、一匹狼の巡査部長・
オマラに非合法な特殊部隊を結成させ、組織と
徹底抗戦、完膚なきまで叩き潰すよう命じる。
かくして「はぐれ者」で構成された愚連隊
「ギャングスター・スクワッド」が誕生する…
というのがおおまかなあらすじ。

「ゾンビランド」で知られるルーベン・フライシャーが
今回挑戦したのは、法の下から抜け出し己の正義を
貫く警官たちが、冷酷なギャングと血で血を洗う抗争を
繰り広げる様を描いたスタイリッシュクライムアクション。

「スカーフェイス(傷顔)」が特徴的なギャング
キング・ミッキーの登場と、決して折れない
「アンタッチャブル」な正義の荒くれ者たちが
誕生するという構図、そして何よりオープニングから
ガンガン飛ばしてくる鮮烈な暴力描写は、デ・パルマに
対するオマージュを色濃く感じますが、映像の端々から
コッポラの「ゴッドファーザー」やレオーネの
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の
雰囲気も感じ取れるあたり、「ゾンビランド」で
観られたゾンビ映画ゴッタ煮感のノウハウ同様、
「総合的ギャング映画」という様相を見せこの辺り
監督の得意分野が見事に表れたというところでしょうか。

キャストに関しては、警官としての責務と身重の
妻を抱えた父親という二つの顔に板挟みにされる
デニス・クエイド似のゴリラ、オマラ巡査部長が
主人公で、誰かと思ったらジョシュ・ブローリン。
彼の片腕になる、呑んだくれで女好き、だが
その心の底には正義の二文字がくすぶっている
という色男・ジェリーにライアン・ゴズリング。
元ボクサー、己の両腕のみで文字通り力づくで
暗黒街をのし上がってきたギャング・ミッキーには、
クズをやらせるとハマリ役なショーン・ペン。
ミッキーの愛人であり、徐々にジェリーに惹かれ
自らの立場と命を危うくしていく本作のヒロインは
エマ・ストーンで、「アメイジングスパイダーマン」の
グウェン役から更に一皮剥けた「大人の女性」への
挑戦が伺えるのですが、メイクの関係もあるん
だろうけどえらい老けたなーという印象を受け、
「スーパーバッド」や「ゾンビランド」の頃の
キュートな面影が消えつつある彼女の姿は
ロリコンの私としては非常に寂しい限り。
それはさておき、キャストの外見とキャラクターの
中身が伴ったそつのない配役に収まっています。

さて、ルーベン・フライシャー監督の魅力はと言うと、
そのキモは「テンポの良い展開」「何処か壊れた
ところのある魅力的なキャラクター」「嫌味のない
スッキリとしたストーリー」「スタイリッシュな
アクション」の四つに尽きると思うし、それらの
効力は本作でも遺憾なく発揮されているのですが、
終盤の「FPSかよっ!?」という銃撃戦や、突然
始まるプロレスに関しては、「事実に着想を得た
物語」という設定が大きな足枷になっていて、
今ひとつ噛み合っていないように思えました。
「そんだけゾンビに囲まれたら普通死ぬだろっ!?」
という状況でなんとなく生き残ってしまう、
トゥインキーキチのタラハシーが許されるのは
ファンタジーなゾンビ世界だからであって、
妻もいる平凡な巡査部長のオマラは、例えいくら
タフガイであったとしても、ギャングが浴びせて
くる雨のような銃弾をかいくぐって生き延びるのは
流石に無理だろうと観客は思ってしまう…そこに
重要な、致命的な差異があるように思います。

原題「ギャングスター・スクワッド」という
アッタマ悪い響きの示す通り、エンタメに
振り切れた娯楽作品として観る分には何ら問題が
ないとは思うんですけど、一連のギャング作品に
おけるシリアスやワビ・サビは感じられないので、
その辺で肩透かし食らう人も多いかもしれない。

世界は広すぎる

新作映画「マン・オブ・スティール」観てきました!
本日はこの作品のレビューを行いたいと思います!

高度な文明と共に繁栄を謳歌した惑星クリプトンは、
資源枯渇と共に星そのものの生命が終わろうとしていた。
緊急事態をいち早く察知していた天才科学者・
ジョー=エルは息子カル=エルを緊急脱出ポッドに
乗せ、宇宙の果ての遠い星・地球へと運命を託す。
ケント夫妻に拾われたその赤子はクラークと名付けられ、
他人とは違う自らの超能力に戸惑いを覚えながらも、
両親の愛を一身に受けたくましく成長していた。
しかしある時、なるべく影で生きるよう努めてきた彼を
あざ笑うかのように、反逆者の汚名を着せられながらも
惑星クリプトンの再興を目指す狂気の将軍・ゾッドが
全人類の前に姿を見せるのだった…というあらすじ。

「300」や「ウォッチメン」といった、アメコミ原作
映像化において既に大きな実績を挙げているザック・
スナイダーが今回挑戦したのは、恐らく全世界で
ナンバー1の知名度を誇るであろうヒーローの中の
ヒーロー「スーパーマン」を現代に蘇らせること!

過去幾度となく実写化されてきたこのテーマを
21世紀の今やるとなると最新のVFXを用いる以上の
ことはないわけですが、世界の破壊者にも成り得る
彼のオリジンを、途方もない壮大なスケールで
描くという点でまず成功していると思います。

マーベル・DCに関係なく、数々の過去作品との
相対的な評価が最早避けられないのは本作もまた
例外ではないと思うのですが、例えば「バットマン」や
「スパイダーマン」といった、元々はただの人間に
過ぎなかった者が如何にしてタイツヒーローへの
道を歩むようになったのか?に対して、スーパーマンは
惑星クリプトンで生を受けたその時点でヒーローになる
という宿命を与えられた存在であり、かよわい人間に
混じり彼らのフリをして生きていかなければならない
葛藤と同時に、クリプトン人と地球人の架け橋にも
ならなければならないという重い義務すらも双肩に
かけられてしまったという苦悩を描くことで、
これまでの作品との差別化を強く意識しています。

DCならではの「住民がみんな良い人」っていうのも
本作のキャラクターの魅力を語る上で外せなくて、
まずケヴィン・コスナーがクラークの育ての親を
演じるにあたり、「アメリカの良心にして平凡な父親」
という、恐らく彼以上の適役はいないであろう位置に
収まっているのを筆頭に、ただクラークに庇護
されているというイメージを払拭するかのように、
彼女自身もまた人類のために立ち上がるという、
戦う女として現代風にアレンジされたロイス・レーンを
演じるエイミー・アダムス、それに未知の脅威を
前にしながらも、倫理・道徳・信頼を忘れずに
クラークへ追随する軍人たちがいい味出してます。
これが例えばマーベル世界の住人だったら平気で
スーパーマンに投石して排斥しようとするからね!
一方で愚直に己の使命を真っ当としようとする
ゾッド将軍は一言にヴィランとは言い切れない
悲哀を湛え、彼も物語に深みを与えています。
ラッセル・クロウ演ずるジョー=エルに関しては、
あらゆる意味でキーパーソン過ぎるが故に
便利アイテムとして使い潰されるのは難点か。

巷では「ドラマ性が皆無」なんて評判をちょっと
耳に挟んだりもしたんですが、多分ノーランの
バットマンみたいな内容を期待した人には肩透かし
食らったとこもあるんじゃないかなーとは思います。
ただ、ノーランのバットマンは「ノーランの
バットマン」という一つの作品ですので、これを
バットマン、もしくはDCという作品の枠組み全体
として捉えちゃうのはまた違う話じゃないかなと。
その点も踏まえて、DCコミックスの「スーパーマン」
という作品をテーマに、ザック・スナイダーという
アーティストが構築した今回の世界観について
何ら落ち度はなかったと個人的には評価したい。

細かい理屈は抜きにね、アメちゃんがよく
孫悟空と喧嘩させてるファンアート描くのも
納得できるようなガチ超人バトルは必見だし、
こんな未曾有の危機がメトロポリスで起きている
一方で、河一つ隔てたゴッサムでは如何にこの
脅威に立ち向かうかを冷静に考えているブルース・
ウェインという狂気の常識人がいるかと想像すると、
それだけでもう笑けてくるというものです。
次回作以降はバッツとスープスのクロスオーバーも
視野に入っているという話ですし、話のタネに
とりあえず一遍観ておいても損はないハズ!

ドヤ顔リチャードギア

「キング・オブ・マンハッタン 危険な賭け」を
鑑賞しましたので本日はこの作品のレビューをば。

経済的に成功し、家族にも恵まれた男・ロバート。
齢六十に差しあたり引退を考える彼の姿は人目には
順風満潮な人生に映るが、その実会社には4億もの
粉飾決済を施し、そんな危機的状況にも関わらず
若い愛人にうつつを抜かし事業に身が入らない体たらく。
ある日愛人と深夜のドライブを楽しんでいた彼は、
飲酒運転がたたりほんの少し居眠りをしたことが
原因で横転事故を起こし、彼女を死なせてしまう。
自らの保身を第一に考えてしまった彼は救急車も
呼ばず、爆発炎上する彼女の車を背中にその場を
逃げ出してしまい…というのがおおまかなあらすじ。

リチャード・ギア主演のサスペンス・スリラーである
本作品は、ありとあらゆる手段と手駒を用いて窮地を
逃れようとあがき、嘘に嘘を重ねていく大富豪の話。

蚊一匹も殺せないようなにこやかな初老の男性が
スクリーンに登場し、どうやら経済界における
一角の人物であることをアピールしつつも、家に
帰れば大勢の子供や孫に囲まれ誕生日を祝われる
という、リアルの充実ぶりも満遍なく見せてくる。

こうなると観客は「いやいやこいつはこんな顔して
裏では絶対えげつないことをしているはずだ」或いは
「こういう奴が破滅していく様を見せてくれる作品
なんでしょう?」という黒い感情を抱かずにいられなく
なり、実際その通りに裏のただれた私生活を暴いていき、
そしてそれが原因で坂道を転げ落ちるように次々と
大切な物を失っていく様はある種のブラックジョークと
して成立している一方、即ち「わかってる、これが
見たかったんだろう?」と胸の内を見透かされている
ような気分にもさせられるわけで、意地の悪い作品です。

一つの嘘をついたばかりに十の嘘で塗り固めなければ
ならず、やがては百の嘘をバラ撒くハメになる
お決まりの展開へと持ち込むものの、ところが転んでも
タダではおかぬ、狡知に長けたロバートという男は
例えどんな苦境に立たせられても無理を通して道理を
引っ込めさせるだけのしたたかさと地力を持ちあわせて
いるところがまた面白くて、「家族や従業員を傷つける
わけにはいかない」とのたまう表の天使の顔と、弱者を
踏みつけ利用するどうしようもないクズの本性を時折
見せる裏の悪魔の顔を嬉々として使い分ける、
リチャード・ギアのコミカルな演技もまた笑えます。

しかして最終的に行き着く先のテーマが「妥協」という
ところこそ、本作で一番注目するべき、語るべきかも
しれないポイントで、善人悪人とその大物小物に
関係なく、「自分の正義を執行できずになんとなく
許せてしまうギリギリの場所に身をおいてしまう」という
描写こそが真理であり社会の縮図であり、世の中に
悪人がのさばる理由として的を射ている気がするのです。
この「善人ぶってはいるがお前も悪人の一人なんだ」
「被害者ぶってはいるがお前も加害者の一人なんだ」
とでも言いたげに、まるで観客の耳元で囁きながら
脇腹をつついてくるような姿勢も、最高に意地が
悪くてまったく本当ひどい映画だよもう!

コミカルに誇張されつつも、絶妙なリアリティが
加味されたキャラクターは皆どれも個性的で、
主演のリチャード・ギアの他にもロバートの妻であり
家庭を重んじる母親を演じるスーザン・サランドン、
ヘビのようなしつこさと狡猾さを持った曲者刑事に
ティム・ロス、その他新人俳優のブリット・
マーリング演じる娘はウブなエロ可愛さを見せ、
同じく新人のネイト・パーカー演じる貧困層の
こくじんも実に危ういバランスの上に成り立った
いいキャラを演じきっていると思います。

ピュアとか繊細とか悪し様に片付けちゃうのも
問題かもしれないけど、そういう人は思いっきり
胸糞悪くなって火がついたようにキレることもある
かもしれない内容なのですが、ある種のホラーと
しての様相も備えたシニカルなキレのあるブラック
ジョークはコーエン兄弟作品を連想させ、個人的
には掘り出し物の佳作だったように思えます。
万人にオススメできるわけではないのですが、
ひねくれたお話が好きな人やリチャードギアの
クソコテ演技に興味がある人なら是非!

ジハードは終わったのか?

新作ソフト「ゼロ・ダーク・サーティ」を鑑賞
しましたので本日はこの作品のレビューをば。

01年の911事件を経て、米政府がテロ首謀者と
断定したオサマ・ビンラディンの足取りを追う10年間を、
CIA局員・マヤの目を通して描いた本作品は、
イラク戦争を描いた「ハートロッカー」でその名を
知られることになったキャスリン・ビグローが監督。

例によって監督独特のドキュメンタリータッチで
モンタージュ風に淡々と10年間の変遷が描かれていく
わけですが、作品の主眼の一つとして置かれているのは
やはり政治的大局と手段を選ばない現場、その二つの
狂気に蝕まれていき、クソコテへと変貌していく、
或いは変貌せざるをえなかったマヤの姿でしょう。

「イラクの大量破壊兵器保持情報はデマだった」という
事実を背景にしつつも、911の首謀者は果たして本当に
タリバンが?ビンラディンが犯人だったのか?という点に
ついては徹底的に言及せず、ただひたすらに彼の足取りを
追い、そのテロ戦争の末に彼女の同僚も犠牲になり、
そうして最終的には彼女自身の「ビンラディンを見つけ
殺す」という目的が復讐へとすり替わっていく様は、これ
即ちヤクザが「ケジメ」という名目で格好をつけているが
何一つ解決に向かわないドン詰まりの様相を示しており、
そしてまたあれこれ理屈をつけようがアメリカそのものが
マヤの姿そっくりであることに他ならないわけです。

非人道的な捕虜への拷問が暴露され、国内外の反響が
高まると同時に、次第に人々も過熱した暴走から冷静に
物事を考えられる時期へと差し掛かると、「本当に
悪いのは誰か?」「我々は誰と戦っているんだ?」と
思いを巡らせるようになる一方、引き下がれなくなった
政府は「ケジメ」のためにビンラディンの尻尾を
何が何でも掴み、引きずり出してやろうと躍起になる。
この温度差とねじれこそが世界の歪みであり、最早
ビンラディンこそが真の犯人であるかなどはどうでもよく、
彼一人殺したところでテロ戦争は終わることはなく、
むしろ残された人々が更なる復讐に走ることが容易に
想像できることを本作はありありと描いています。

今世界を騒がせている米国のシリア武力介入問題は、
ブッシュがイラクに産み落とした負債の尻拭いを
させられているという見方もできると思うわけですが、
「一体誰のために起こしている戦争なのか?」という、
パワー・オブ・アメリカの哀しい虚勢を知る上で
本作は大きなヒントになってくれると思います。
プロフィール

マイケル・チバ

Author:マイケル・チバ
シルバーレイン
マイケル・チバ(b30277)
薬師寺・米(b41960)
を経て、
現在はエンドブレイカー!
マーヴィン・ジェント(c06527)
にて稼動中。

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