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小さくも美しい町

以前レビューした「M」に触発される形で、
集団心理の暴走を描いたとされる映画
「ドッグヴィル」を鑑賞しましたので、
本日はこの作品のレビューを行います!

時は大恐慌時代。
山奥の寒村「ドッグヴィル」へ、一発の銃声と
共に美しい娘・グレースが逃げ込んできた。
ギャングと関係あるらしき彼女に住民は訝るが、
町の人々に「道徳」を説く作家志望の青年・
トムは、彼女の存在こそ住民に示すべき
この上ない「実例」と考え、住民を説得し彼女を
匿うことにするのだが…というのがあらすじ。

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でも広く知られる
ラース・フォン・トリアーが、村社会の好意がやがて
偏執狂へと変わっていく過程を描いた本作品。

トリアーと言うとなかのひとは前作にあたる
「ダンサー~」及び前々作にあたる「イディオッツ」を
鑑賞してるわけですが、その胸クソ悪さ、滲み出る
悪意を描くという点では共通している監督、ミヒャエル・
ハネケと正反対にうって変わって大嫌いなのは、
「まず結論ありき」で話を導いているフシがあることと、
超現実的なまでに人間が「弱い」ことの二点。

今回は作品のテーマ的にも「人間の弱さ・脆さ」に
焦点があてられていることもあって、まるで立て板に
水をかけたようにあっと言う間に坂道を転げ落ちていく
人々の姿は一周回って最早ギャグの領域。

同様に、序盤の「住民の良い人プレイ」と「徐々に
打ち解けていくグレース」という展開も、中盤以降の
前フリであることは最早明白、「はいはい予定調和
予定調和」と頬杖突いて眺める冗長さしかありません。

タイトルに「犬」の名を冠し、村社会の恐怖を描いた
作品というと、かのサム・ペキンパーの名作「わらの犬」が
思い当たるわけですが、「わらの犬」の登場人物には
同情や感情移入の余地があったかどうかは別にしろ、
少なからず誰もが何らかの正当性を抱えていました。
それを受けてか…少なからず、本作はその影響を
踏まえてのことだと思うのですが、ドッグヴィルの住民は
何の理念も持たないまま、野に放たれた犬がごとく
暴虐の限りを尽くし、欲望のままにひた走ります。
それがかえって、なかのひとにはよくわかりませんでした。
何の目的も持たない住民たちが、一律に同じ方向を
向いて、ここまで凶暴になれるものなのか…と。

それはさて置き、今回も監督本人は独特の技法だと
言い張る手ブレカメラの撮影なんで滅法酔います。
しかも本作は3時間近くあるからめっちゃ酔うかんな!
体調の優れない時は鑑賞に十分注意してください。
それから、予算を軽減するという意味も兼ねてか、
床に引かれた白線と、簡素な小道具のみという
舞台劇風のセットで撮られたことも目を引きます。
しかし、これに関しては中盤のとある衝撃的な
全く新しい羞恥プレイのためだけにやりたかったんじゃ
ねーのかオメーという節もなきにしもあらず。
いや、趣味が透けて見えて面白いですけどね。

かのタランティーノは、「レザボア・ドッグス」の
拷問シーンについて、「例え不謹慎であろうが
楽しんでしまったなら観客は負けを認めなければ
ならない」といった話をしていたことを記憶しています。
その点では、本作のラストに待ち構えている当然の
結末について、「ああそうだよ!少し喜びを感じ
ちまったよ畜生め!」と認めざるを得ないところも。
この辺、理不尽で塗り固めた「ダンサー~」よりも
若干成長が見られるというか。いやらしい方向で。

既に作品自身が「何の意味もない」と言及して
しまっている以上、本作から得られる物は何もなく、
斜め下に突き抜けすぎて笑うしかなくなる登場人物、
胸クソ悪さが前提と、果たして一体観る価値なんて
あるのかどうか、少なくとも他人には全くオススメ
できない本作品ではありますが、こういう映画も
世の中にはきっと必要なんじゃないかなあと思います。
多分。
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命短し恋せよ乙女

最近他に観る物・観たい物もないしとりあえず
黒澤映画片っ端から手をつけていけばいいじゃ
ないってことで今回鑑賞したのが「生きる」!

たらい回しは日常茶飯事、「何もしないこと」が
仕事の市役所市民課課長の渡辺は、勤続
30年を目前に控えたある日、自分が胃癌に
侵されているという事実を知ってしまう。
無断欠勤の上、コツコツと貯めた金を夜の
歓楽街で派手に使うという遊び方を新しく
覚える彼であったが、しかしその顔は冴えない。
それから5日後、朝帰りの道を歩いていると、
市民課の新人・とよと偶然出会い、彼女は
退屈な役所仕事を退職すると彼に打ち明ける。
渡辺は若く活気のある彼女と触れ合ううち、
徐々に意識の変革が現れ…というあらすじ。

黒澤の名を決定的にしたと思われる「羅生門」から
2年後に製作された本作品は、そのド直球な
タイトルが示す通り、人間が生きるということは
どういうことかを観客に問いかけ、示すストーリー。

医者からは胃潰瘍だと宣告されるが、身をもって
自分が永く生きられない身体だとわかってしまう
主人公や、その深刻な事態に気づかず空回りする
周囲の人々という、昨今では一周回ってギャグの
テンプレとしても扱われるほどの王道な展開を
築いているわけですが、「なんでもないようなことが
幸せだったと思う」という某歌謡曲よろしく、
突然死を宣告されてしまった男と、死などという
概念とは遠く離れた日常に生きる人々から
描かれるコントラストは身につまされるものがあり、
特に自分の身体に自由が利かなくなってくる…
いや、なかのひとも最近突然腰を痛めてしまった
ことで尚更実感させられたんですが、3~40代に
差し掛かったおじさんおばさんには他人事じゃ
ないシャレにない事態が重くのしかかってきます。

起承転結の「転」の部分における、中盤での
突然の衝撃的展開!も当時としてはおそらく
空前絶後の思い切った構成であり、前述した
「羅生門」の延長上とも言える、各登場人物の
モノローグによって物語が紡がれていきます。
「わからねえ、わからねえ」とうわ言のように
呟く「羅生門おじさん(勝手に命名)」がいたり
するあたりに、セルフパロディの赴きが見られ
さりげない笑いを提供しているのもポイント。

中盤以降の展開により、「生きる」ということが
単純な人間の生命活動という範疇を超えて、
大勢の人々の生活の口伝の中で、或いは
歴史の中に残す一つの小さな足跡としての
意味をも内包し始めるというのが素晴らしければ、
結局目前に本当の死を突きつけられなければ
人は死にもの狂いになることはできないのだ、
そして大抵の人々はそれに気づかず緩やかな
死を受け入れていくのだ、という世の中の皮肉な
システムも淡々と描いていくところが好印象。

もうね、なかのひともボロッボロ涙流したし、
「そうだ、俺ももっと頑張らないと!」って念じるけど、
一晩寝た後はまた死んだ目になってると思うわけですよ。
そういう一連の流れまで含めて完成された作品だと
思うわけですが、それでもとにかく「頑張ろう」という
気持ちにさせられることには違いありませんので、
ちょっと心が折れそうになった時にオススメの一本。
実際、本当助けになりました。

全力で行くか?

今更黒澤作品にドハマリダブルピースしてる
ってことで、本日紹介するのは「天国と地獄」!

戦後の経済成長過渡期にさしかかった頃、
ナショナルシューズ社も時代と流行に
合わせた方向転換を迫られていたが、
昔ながらの職人気質の男・権藤は機能より
デザインを重視しようとする他の重役の考えを
よしとせず、密かに自ら私財を投じ自社株の
半数を所有する手に打って出ようとする。
ついに一世一代の賭けに踏み切ろうという
前日、なんの偶然か誘拐犯がよりにもよって
運転手の青木の一人息子を権藤の実子と
勘違いして連れ去り、彼に三千万を要求する。
自分の仕事と人生を取るか、他人の子供の
命を取るかの二択に権藤は深く悩むが…
というのがおおまかなあらすじ。

海外の警察小説「キングの身代金」をたまたま
読んだ黒澤明がいたく気に入り、原作に敷き
映画化に踏み切ったという逸話があるらしい本作。
三船敏郎が主人公としてクレジットされていますが、
警察小説が下地ということで実質的な中心人物
として描かれるのは、「用心棒」の卯之介や
「椿三十郎」の室戸といった、黒澤作品の中でも
特に印象の残すキャラを演じきり、順当にキャリアを
積み上げて来た仲代達矢演ずる戸倉警部。

序盤、これはどうも原作小説絡みで引きずって
いるようなのですが、いささか説明台詞と芝居
がかった各登場人物の自己紹介には黒澤映画
らしからぬ違和感を覚えるものの、しかし
現場からの叩き上げで、重役のポストには
場違いな印象を覚える「権藤」という役どころに、
三船をはめこんだ時点ですでに作品の良し悪しの
大半は決定されていたと言っていいと思います。

ヒト・モノ・カネ…瓦礫の中から高度経済成長を
遂げ、人が単純に生きることから娯楽への
欲求段階を引き上げた時、一体何が本当に大事で
何がいらないのかがわからなくなってしまう。
現代におけるあまりに肥大化し人間を飲み込んで
しまった金融システムと、人間の抱える病的な心理に
対し「まだ人間がそれらを理解し、引き返せる範疇に
あった時代」を記す同時に、それらの一切が
絶たれてしまった悲哀を本作は描いています。

企業が取捨選択を迫られている一方で、刑事たちは
彼らの言うところの「犬」となり、見事なチームワークで
一丸となって凶悪犯罪に挑むという驚くべきほど
華麗な美事も見せており、本作からは「人間賛歌」の
はっきりとした鼓動も感じ取ることができます。

人間社会全体から産み出された一人の人間の
病巣を切って取り出して見せるという構図や、
社会派ドラマとサスペンス・ミステリーの二つを
織り交ぜた大胆かつ贅沢な構成からは、
たまたま同じタイミングで鑑賞することになった、
先日レビューした「M」と同じものを感じます。
「ノーカントリー」や「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の
ように、近代の人間の抱える病理や欲望は
どんどんヒトの理解の範疇を越えています。
今がエントロピーの頂点でこれからはただ
静かに死んでいくだけなのか、それとも最早
現代人には理解という言葉を使うのも
おこがましい先が待っているのか、それは
常人の想像の及ぶところではありません…

2.0ってつく物には本当ろくでもないもんしかねえな!

日本人には「ムトゥ踊るマハラジャ」でよく知られる
インド映画の誇るスーパースター、ラジニ・カーント
主演の話題作「ロボット」が地元で公開されて
いたのでうっかり観に行ってきてしまいましたよー!

バシーガラン博士は10年間に亘る研究の末、
自らの身体に似せた高い知能と機動性を誇る
軍事運用を目的としたロボットの開発に成功する。
「チッティ」と名づけられたそのロボットは着実に
実績を重ね、いよいよ正式な認可を受けるために
AI管理局への申請を行うも、局長にしてバシーの
かつての恩師でもあるボラ教授は、あろうことか
彼に嫉妬を抱いており、私的な感情で却下した挙句
「感情をプログラムしろ」という無理難題を押し付ける。
バシーの挑戦により多大な知識と経験を得た
チッティは、偶然の事故も重なりついに感情を得るが、
それは新しい悲劇の始まりでもあった…というあらすじ。

超進化したフルCGのオープニングにド肝を抜かれますが、
同時に独特な抑揚の効いたBGMと、OPロールで不意打ち
気味に表示される「スーパースター・ラジニ」の文字、そして
いざ本編が始まればVFXで描画されたロボットが奇妙な
振り付けで踊りまくりと、まさに技術だけが進歩してしまった、
ガラパゴス化したインド映画の姿を本作から見ることができます。

ストーリー自体は「人間の身勝手で感情をプログラムされた
ロボットが恋も覚えてしまう」という至極単純な内容なんですが、
昭和の特撮を最新映像技術でそのままやっちゃうから怖い!
最近の作品で言えば「電人ザボーガー」に大変近い臭いを
感じますが、予算のケタが違うので狂いっぷりも半端ない。
そしてまた、「ザボーガー」がそうであったように、青臭さ・
泥臭さを漂わせつつも一本気で筋の通ったストーリー
だからこそ、胸を打つ熱い物を内包しているのがまた困る。

あと、技術面は進化しているくせに、人死にを前提にしたような
身体を張り過ぎるアジア特有のスタントに関しては全く省みる
ところが見られないのも怖くて、派手なカーチェイスシーンは
映画の枠組みを超えてハラハラさせられること請け合い。

要所要所で歌とダンスを取り入れるミュージカル技法に、
インド人のエキゾチックなセンスが入り混じり独特の
世界観が構築されてグイグイと引き込まれていくので、
オリジナリティにもっと自信を持って前面に打ち出して
いけばいいのに、変なところでターミネーターだの
アイロボットだのダフト・パンクだの、周回遅れのネタを
堂々とパクってくる根性の良さには思わず苦笑。
なんというか、インド映画だから許されるというか、
絶対にハリウッドには持ち出しちゃいけないし、
絶対にハリウッドでは受けないだろうなという印象。

日本人で言えば力とか翔みたいないい歳した
オッサンが主人公で、主人公含めて全員どっか
キチガイなキャラクター群、破天荒なストーリー、
ヤケクソ起こしたような勢いで描かれるCGと、
「一番脂が乗ってた時期の三池」を彷彿させた
本作品、最高に頭悪くて大好きになりました。
機会があればもう一回映画館に足運んでもいい。

キル・ザ・ビースト

IMdbTOP250においても50位に入るような、
巨匠フリッツ・ラングの名作と言われる「M」が
奇跡的にレンタルできましたので、興奮と共に
鑑賞した本作のレビューを本日は行います!

およそ八ヶ月の間に八人もの子供を殺害した
連続殺人犯の首に、警察は1万マルクもの
懸賞金をかけて市民への協力を呼びかけるが、
何一つ有力な手がかりを得られずにいた。
度重なるガサ入れの煽りを食らい、商売上がったりと
嘆く裏社会のヤクザたちは、やがて自分たちの手で
殺人鬼を捕まえようという結論に至る…というあらすじ。

連続殺人犯に怯える一般市民と、シマを守るための
ヤクザが警察には頼っていられないと一致団結し、
やがて暴走していく大衆心理を描いた社会派ドラマ。

それとは別に、オープニングでは子供に静かに
伸びる影、電線に絡まった風船、無残に地面を
転がるボール、そして犯人が「ペール・ギュント組曲
4番『山の魔王の宮殿にて』」の口笛を吹くという
効果的な演出がなされ、サイコ・スリラーの
先駆けとも言える側面も見せています。

印象的な口笛を吹き子供を手にかけるキチガイ
殺人鬼、暴走する大衆、そして観客に強烈な印象を
叩き込む「M」というアルファベットとその意味という点に
おいては、以前レビューしたカルト映画「狩人の夜」にも
多大な影響を与えたのではという気がするのは余談。

さて、本作で大きく注目を浴びることになったという
ピーター・ローレ迫真のキチガイ演技に目を奪われがちに
なりますが、監督が本当に描きたかったであろう、終盤の
暴走した一般市民たちの姿から描かれる、社会に対して
鋭く切り込んだ皮肉には頭を垂れる他ありません。

「人を裁くことなかれ、しからば汝らも裁かれざらん」という
言葉があるように、理性を追いやって感情のままに
けだものをけだものと断じ、死に追いやろうとするならば
その者もまた愚かなけだものに他ならないわけです。
この、現在の「死刑制度」でも未だに議論されている、
「犯罪者に死を課しても遺族の復讐心をいたずらに
満足させるだけでしかない」という理屈を、既に監督が
映画という場で表現していることに驚かされ、尚且つ
一体誰のため、何のために司法が存在しているのか、
という締め括りで救いをもたらしているのも素晴らしい。

視覚的な技法、よく練り込まれた脚本、強いメッセージ性。
どれを取っても今日の映画の基礎を築いたまさに名作。
手に取る機会は限られていると思いますが、オススメ!

あなたはどこに?

色んな意味で話題の新作ということで
「ツリー・オブ・ライフ」を鑑賞しましたので
本日はこの作品のレビューを行います!

次男の突然の死に対し、悲しみに明け暮れる
家族を描いた(と思われる)本作品。
ブラッド・ピットとショーン・ペンという二大スター
共演という話題性が先行している気もしますが、
どちらかというと難解過ぎて内容に触れられない
というのが実情のような気もします。

まず「神の寵愛を受けるのか、それとも世俗に
生きるのか」という教化的な二択が存在し、
その上で「家族の死」を突きつけられた者たちが
「神の存在」に対しあれこれ悶え苦しむ、という
ところまではわかるんですが、突然始まる
「46億年物語編」はこれ本当に挿入する必要
あったの!?という感じで、この冒頭三十分で
心を折られる人が続出したんじゃないでしょうか。
ていうかうっかり油断すると寝るよこれは。

そこから性格クソ気味な父親とその彼に歪め
られてしまった息子、その狭間で虐げられ苦悩する
母親という構図で親子の確執を描いたストーリーが
展開されていくわけですが、これがやっぱりどう
「46億年物語編」と繋がるのかもさっぱりわからないし、
何処の家庭にも大なり小なりありふれた日常風景を
淡々と描いていく工程も必要性に疑問を覚えます。

最終的にまたスピリチュアルな方向に突っ走って、
なんだかよくわからないままどうやら物語のキャラは
皆納得したような満足した面持ちでエンドを迎え、
置いてきぼり食らった観客はポカーンとしたアホ面を
ブルブル横に振って「え…ああ…すいません、よく
わかりませんでした」と力なく呟く他ないと言ったところ。

「ツリーオブ・ライフ」と言うからには、ダーレン・
アロノフスキーの「ファウンテン」のように「生命の樹」
信仰を描いた作品なのかと思ったらそうでもないし、
なんというか、人間ドラマに持って行きたいのか
スピリチュアルな方向から訴えて行きたいのか
よくわからない中途半端な作りに思えました。
「映画から神を描く」という点ではアレハンドロ・
ホドロフスキーの「エル・トポ」もあるわけで、
聖書等の原典を特に知らずとも「なんだかよく
わからんがなんだかすごいことをやっている」
とパワーを感じられる作品がある以上、本作は
ちょっと勢いやパンチの不足感は否めません。

んでwikiで監督のことちょろっと調べたらそうか、
「シン・レッドライン」の人かということで、そういや
アレも結局どういう内容だったか鑑賞後に
さっぱり思い出せなくなってたし、これはもう
そういう作品なんだ、すいません私には理解
できませんでしたということで全部投げます。

私は負けない!それは何故か!?

新作DVD「カンパニー・メン」を鑑賞
しましたので本日はこの作品のレビューをば。

景気後退により総合企業「GTX」もまた経営
規模縮小を余儀なくされ、勤続12年の販売部長・
ボビーもあっけなく人員削減の憂き目に遭う。
定年退職を目前に控えた勤続30年のフィルや、
部門責任者のジーンでさえもポストを危うくする
一方、ボビーは職安通いを続けるが取り付く
島もなく家庭崩壊の危機が迫っていた…
というのがおおまかなあらすじです。

新人映画監督の長編デビュー作だという本作は、
ベン・アフレック、トミー・リー・ジョーンズ、
クリス・クーパー、それにケビン・コスナーと
四大スターが顔を揃えた社会派ドラマ。
前者三人がいるという理由で本作を観たのですが、
コスナーがいたのは最後まで気づかなくて。
そうか、コスナー随分老けたんだねえ…

それはさておき、「ウォール街」での株価の
変動による一喜一憂や、「マイレージ・マイライフ」に
あった「解雇通知人」のドラマの先にある、
社会を支える人々の顛末を描いたのが本作品。
良い車に乗り、良い家に済み、良い家族を持ち、
「自分だけは大丈夫だ」と根拠のない自信に
寄りかかっている者にも、ある日突然不幸は
降りかかる…という話は誰もが漠然と抱える
不安であり、三十・四十と年齢を重ねた者で
あればあるほどその想いは身につまされるはず。

現在の金融システムが抱えた破綻と矛盾を
キッチリ描いた内容も興味深く、目先の株価に
踊らされるばかりに従業員をないがしろにし、
その他切るところを切れない愚かしさが結果
としてハゲタカについばまれる要因になるという、
負の螺旋構造が本作を通じてもよくわかります。

既に一個人、或いは人間には扱えない代物と
なってしまったその経済社会の犠牲者たちが、
如何に再起を図るのかというのが本作のテーマで
あり焦点の一つであるわけですが、バブルに
浮かれて物を消費する時代はとっくに終わり、
今こそ「ヒト」と「モノ」について改めて見直す、
考え直す必要があるのではないのか…という
「価値観の変化」の提示はされていても、結局
システムの矛盾と破綻に対する解決法も、
変化に対して何を正しいとするかの解答も明確に
されないところに、人間の抱えた悲しみがあります。

話は変わって、ベン・アフレックの印象を一新
させた「ザ・タウン」同様、今回の彼も落ちるところ
まで落ちた男を好演、デビュー作「グッド・ウィル・
ハンティング」で見せた凡庸なブルーカラー労働者
という役柄に長い年月をかけてようやく戻ってきた
という印象と同時に、やっと観客の望んでいる・
想像するポストに彼自身がハマったと言うべきか。
ベン演じるボビーの義兄にして、彼を肉体労働の
現場に雇う男・ジャックを演じるのがコスナーな
わけですが、職人気質の良い意味で華がない・
地味・自分を出さないという役柄がこれまた
コスナーというキャラへ絶妙にマッチ。
飾らなければ本当に良い演技をしますこの人は。
年齢の差が明暗を分けてしまった、既に人生の
余裕もない男・フィルを演じるクリス・クーパーの
テンパリっぷりも堂に入っているし、かつての
タフさを感じさせる、何事にも動じない知的な老人を
演じるトミーには最早言うこともないでしょう。

全体の展開にメリハリがなく起伏に乏しいが故に、
観客に揺さぶりをかけるにはやや弱く、転じて
針のむしろ状態でとにかく胃に痛いという、
これを監督が意識しているのかしていないのかは
わかりませんが、新人であるということを色々と
伺わせるあと一歩至らない点は散見されます。
しかし、「ここで決めるぞ!」というシーンでは
気合の入ったショットから意気込みと気迫を
感じられますので、これは次の監督作にも期待。

岡目八目!

「用心棒」で素浪人が「桑畑三十郎」を名乗ったのを
聞いて「ああ!だから椿三十郎なのか!」なんて
由来を始めて知ったわけですが、そんな勢いのままに
今回は「用心棒」の続編にあたる「椿三十郎」を鑑賞
しましたので、本日はこの作品のレビューをします!

夜更けの神社、九人の年端もいかない若侍たちが
首を揃え、城内の汚職を告発しようと息巻いていた。
首魁らしき青年が言うところ、家老の伯父には
取り合ってもらえなかったが、大目付の菊井に注進
すると、話を詳しく聞きたいから汚職と告発の件を
知っている者全員を一つに集めてくれとのことらしい。
すると、雨風をしのぐためにたまたまそこに居合わせた
名無しの素浪人が奥から現れ、若者たちにそれは
菊井の罠だろうと懇々とお説教をはじめた。
素性も知れない不審者の小言に若侍たちは頭へ
血を上らせるが、素浪人の読み通りやがて神社の
四方はたちまち菊井の手の者に囲まれてしまう…
というのがおおまかなあらすじ。

黒澤明ファンの中でも最高傑作とする声も多い本作
「椿三十郎」は、前作「用心棒」の、やくざの二大勢力の
闘争を描いた任侠時代劇から一転、一国一城の
汚職を巡るお家騒動にひょんなことから素浪人が顔を
突っ込むという、ポリティカルな一面を見せる時代劇に。

彼の行くところに嵐があるのか、それとも彼にただ
揉め事に顔を突っ込む性分があるのか、それは
わからないけれども、前作でほんの少し見せた
素浪人の余計なお節介焼きが本作では最初から
全開、ツンをスッ飛ばしてデレッデレなホットスタート。

血気盛んな九人の若者を救うという酔狂のため、
素浪人自らも命を投げ出すという展開になるわけ
ですが、これは即ち素浪人が単体だとあまりに
強キャラだから足手まといでハンデつけるという話で。

凄い横道に逸れるんですが、ジミー先生の「片腕」
シリーズって要するに三十郎やりたかったんだなー
というのが本作を観てよくわかってしまいました。
そんで、素浪人があくまで強キャラにハンデを
つけるという意味合いだったのに対し、片腕先生は
弱キャラのモブというヒエラルキー下層を用意する
ことで強キャラアピールをしようとしたもんだから、
なんだかすごいアレな内容になっちゃったんだなと。
どうでもいい人にはどうでもいい話ですけどね!

簡単に横道に逸れてしまうぐらい、昨今の映画や
ドラマに多大な影響を与えた王道展開だけに
本作もあんまり今更言及できる点もないのですが、
一癖も二癖もあるキャラ造形がやっぱり魅力的。
特に家老の伯父という位置にある睦田というキャラが
本作では素浪人に匹敵する曲者であり、敵に幽閉
されているため顔出しは最後までしないながらも、
人々の口伝から次々に肉付けをされていき、いつの
間にかどんどん強キャラに仕上げられ、観客の
想像と期待を弥が上にも高めていくという仕様。
これは素浪人が口にする本作のテーマの一つ、
「岡目八目」という言葉にもかけているのでしょうね。

テーマと言えば、やはり黒澤監督の一貫した
「最後には善き人が残る」というメッセージ性、
転じて素浪人の「狡兎死して走狗烹らる」、
「犬は鎖に繋げられるが狼は無理だ」という、
彼の戦争の中でしか生きられない孤高の英雄ぶりと
その悲哀がより際立ち、作品のそこかしこから監督の
人生の哲学めいたものが感じられるのも好印象。

演出面においても、タイトルにもある「椿」が
効果的にストーリーに絡められ、美しさと同時に
その花が持つ暗喩の残酷さが作品を彩ります。
「世界のMIFUNE」と呼ばれるに至るだけはある、
ラストシーンの壮絶な殺陣も必見、この近距離で
刀が抜けるのか!?という立ち位置から目にも
止まらぬ居合い一閃には鳥肌が立つこと請け合い。
要所要所で派手な立ち回りがあるものの、
実はそこまでチャンバラ活劇しているわけでもない
低予算な渋い作りをしているのも個人的には好み。

孤高の英雄と、その彼が暴力をもってして暴力を
否定するというスタンスからは、ジョン・ウーが黒澤から
影響を受けたというのも本作からよくわかります。
熱き男のドラマを観たい人には本作もオススメ。
プロフィール

マイケル・チバ

Author:マイケル・チバ
シルバーレイン
マイケル・チバ(b30277)
薬師寺・米(b41960)
を経て、
現在はエンドブレイカー!
マーヴィン・ジェント(c06527)
にて稼動中。

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