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アンゴラのセーター

本年を締めくくる映画は何がいいだろう、
と思案して行き着いたのが本日紹介する
ティム・バートンの「エド・ウッド」で、
それに伴ってこれが今年最後の更新に
なると思われます。

売れない劇作家、エドワード・D・ウッドJr.は、
その才能に伴わない人一倍の理想家だった。
ある時彼は「性転換手術」を題材にした映画の
監督・脚本募集の話を聞きつけ、ふとした偶然で
知り合ったかつての大物スター、今は落ちぶれた
モルヒネ中毒のベラ・ルゴシをウリにすることで
製作権を見事に勝ち取ったのだが…
というのが大まかなあらすじです。

実在の人物にして「史上最低の映画監督」として
名高いエド・ウッドが奔走していた時期に
スポットをあて、女装癖があったという彼を
はじめオカマの友人、色弱のカメラマン等
「映画よりも彼自身の方が面白かった」と
言わしめる彼のプライベートや、加えて
報われない晩年を過ごしたドラキュラ俳優、
ベラ・ルゴシの姿を描いていくのが本作。

エドの映画が好き過ぎて彼自身を題材に一本の映画を
撮り上げてしまったのだから自身もまた奇人には違いない、
奇才ティム・バートンの映画愛が溢れまくっていて、
「グレンとグレンダ」や「プラン9」のシーンを
これでもかとディティールに拘りまくって細部まで
再現する狂気の作り込みには吹かされること請け合い。
同時にキャストも「一体どっからこんなに
そっくりさんを連れてきたんだ」という顔ぶれで、
特にベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーの
鬼気迫る渾身の演技はアカデミーも納得の出来。
反面、エド演じるジョニー・デップは
中性的な色気が滲み出てしまっているのが
かえって仇になって、女装シーンが普通に
様になってしまっているのがちょっと残念。

映画資金のためスポンサー探しに奔走し、
役を巡ってエドの恋人はヒスを起こし、
ルゴシは薬漬けでボロボロになっていく。
おかしな面子が繰り広げるドタバタは
面白おかしさとそれ以上の悲哀を湛えていて、
ヘナヘナな出来の映画の舞台裏には
こんなドラマがあったのかと思うと、
一連の作品がとても愛しく思えてくるものです。
とは言え「これこそ俺の作りたかった傑作だ!」
なんてエドが言っても、「いやそれはねーよ…」
と観客はつっこまざるをえないという
むにゃむにゃ加減を持たせるあたりバートン節は健在。

「市民ケーン」を撮った、自由奔放過ぎるが故に
恵まれない部分も多かった生粋の天才肌、
オーソン・ウェルズを才能ゼロの駄目人間、
エド・ウッドと対照的に描く映画を撮り上げたのは
奇才・変態のティム・バートンという構図が
実に面白く、映画をこよなく愛した二人の
映画監督に対するバートンの愛、そして
バートン自身もまた映画に対する愛が
怖いぐらい溢れかえっていて、いち観客として
映画に対する見方や姿勢が少し変わった気がします。

まあだからっつっても前述の通りエドの映画が
名作かっつったらそんなことは全然ないし、
世の中にはクソ映画も溢れてるんで全ての
映画やそのクリエイターを美談で片付けるわけには
いかんよねって気がするのもこれもバートン節。

手広く映画を観る者ならば最低映画はおそらく
絶対に避けては通ることのできない道でしょうし、
そういった意味も込めて映画好きを自称するならば
是非一連のエド映画と本作の鑑賞をオススメ…
したいけども、やっぱエド映画は他人にはおいそれと
オススメできない内容なんだよねえ…むにゃむにゃ。
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ヒーローってなんだ、ヒーローを知りたい

クリスマスイブに一人で「トロン・レガシー」と
「キックアス」を観るという強行をしたわけですが、
「トロン」の方はまぁ…うん…っていう出来だったので
「キックアス」のレビューだけしたいと思いまーす。

何の取り得もないナードの高校生、デイヴは
母親に突然の病気で先立たれ、自分の将来に
不安を抱えた彼は突然コスチュームヒーローに
憧れを抱き現実で実践を試みるようになる。
デビュー戦はチンピラに刺された挙句車に
轢き逃げされるという散々な結果に終わるが、
懲りない彼は自警行為をやめず、泥仕合で
ついに初勝利を収めることに成功する。
この時の様子がyoutube上にアップされ、
デイブ演じる「キックアス」は一躍時の人となるが、
同時期に影で暗躍していた本格的な訓練を積んだ
殺人ヒーロー親子「ビッグ・ダディ」
「ヒットガール」の二人とマフィア間の抗争に
キックアスも巻き込まれるはめに…
というのがおおまかなあらすじです。

インターネット、映画、コミックとメディアミックスで
展開された新ヒーロー、その名は「キックアス」。

スパイダーマンのような超能力もなく、
アイアンマンのような才能も財力もなければ、
パニッシャーのような暗い過去も不屈の精神もない
ただの高校生が先行きの不安に狩られ、自警行為で
ヒーローを気取ることで性的な快感にも目覚めていく
なんて様は「ウォッチメン」的でもあります。

デイヴを「師匠のいない、身体能力もゼロ」な
「バットマン・ダークナイト」の三代目ロビン
キャリー・ケリー駄目駄目版だとするならば、
本作第二の主人公もしくは今までに見たことのない
最も危険で可愛いヒロイン・ヒットガールは
さながらバットマンに徹底的に教育された
「シン・シティ」で言うところのデッドリー・
リトル・ミホといったところ。

この辺は原作を執筆したのが「ヒーロー登録条例」に
よって彼らが真っ二つに対立する様を描いた
「シビル・ウォー」や、駄目なサラリーマンが
実は大物ヴィランの息子でやっぱり危険な女と
出会うことで徐々に覚醒していく様を描いた
「ウォンテッド」を輩出したマーク・ミラーということで、
どことなく似た臭いを感じ取ることができます。

作品としての大まかな流れは映画もコミックも
変わらないのですが、興味深いのは彼らが
ヒーローに至るまでのきっかけ、即ち「オリジン」が
全く違うためにストーリーも全く変わって映え、
細かい部分で演出も異なるため、まるで同じテーマを
持った二つの作品を楽しんでいるような気になれること。

オリジンが作品の雰囲気に与える影響も強く、
映画が「なんとなく世界は良い方に向かう気がする」
というのに対しコミックは「世界は間違った方向に
下方修正されて結局何も変わらない」という
どこか後味の悪さを残すものとなっています。

ついでに言うとコミック版は映画版に比べて
登場人物が遥かにクズくて、素顔は無垢で純粋な
少女ヒットガールや、良き父親であろうとする
デイヴの父だけが作品の良心という困ったことに。

じゃあコミック版はつまんないか?と言えば
絶対にそんなことはなくて、骨がきしみ
血飛沫が舞う、徹底的な暴力を描写することで
現実にヒーローであろうとすることとそれが
本当の自分に何のプラスにもならない虚しさを
描いたこっちの方が個人的には好きです。

コミックと映画、先にどっちを見たかで
どちらが好きかが分かれそうなところも
「キックアス」の面白い、興味深い点ですね。
どちらも面白いのでどちらを先にするかは自分からは
言えないしこれは運ときっかけに任せましょう。

あとはー、現実の本人が絶大なアメコミマニアで
息子にアメコミキャラの名前をつけてしまうほどの
ダメ親父、ニコラス・ケイジ扮するビッグ・ダディが
コミック版に比べるとオリジンの違いや
見せ場が用意されてる関係からすげぇカッコイイ。
コスチュームはなんか似非バットマンって感じなので
コミック版の方がカッコイイと思うけど。
「このオマンコ野郎!」と連呼してしまう困った11歳、
ヒットガール演じるクロエ・グレース・モレッツ の
身体を張った演技と、キュートな容姿にも注目。
これもシンプルなコミック版の方がデザイン好きかな…
なんかこの辺は狙ってやってんのか、全体的に
映画の方がコスチュームもっさいのが特徴です。
わざとやってんじゃないかなって程度には。

既にコスチュームヒーローとしての物語はネタが
出尽くしているんじゃないかという昨今、
そこまで真新しい物があるわけでもないのですが、
それでもダメ男がダメなりに頑張った結果を
是非劇場で、コミックで見て欲しいとオススメしたい。

ゾンビはトモダチ!怖くない!

「死霊の盆踊り」のトラウマが想像以上に
爪痕を深く残していて、それじゃあ
口直しに何を観よう、「エクソシスト」みたいな
ガチ路線はそれはそれで重いし…ってことで
今回選んだのが、今までずっと未見だった
「一家に一人、ゾンビをペットのように使役する」
世界を舞台にしたホラーコメディ「ゾンビーノ」。
本日はこの作品のレビューをしたいと思いまーす。

突如空から降り注いだ謎の宇宙線により、
世界中で死者が蘇る異常事態が発生。
しかし人類はゾンビとの戦争に勝利し、
企業「ゾンコム社」はゾンビを研究することで、
新たに開発した首輪型装置で彼らの食欲を抑制し、
奴隷のように使役できる技術を開発する。
残された人類は、ゾンビの徘徊する外界を
フェンスで遮断し、調教されたゾンビたちと共に
悠々自適で平和な生活を謳歌していた。
平凡な中流家庭出身のティミーは、ゴルフに夢中で
家族との交流を全く大切にしない父と、
近所付き合いの体面ばかりを気にする母を持ち、
すっかり内向的ないじめられっ子に育っていた。
そんなある日、「近所でゾンビを飼っていないのは
自分の家だけだ」ということに業を煮やした母は、
ゾンビ嫌いの夫の反対を押し切り強引にゾンコム社から
一体のゾンビのレンタルを取り付ける。
どうやら他のゾンビよりもほんの少し賢いらしい
このゾンビが、ティミーをいじめっ子から守ったことが
きっかけで、ティミーは彼のことを「ファイド」と名づけ
家族の一員として親しく接するようになるのだが…
というのが大まかなあらすじです。

04年の「ショーン・オブ・ザ・デッド」や
05年の「ランド・オブ・ザ・デッド」に追随する形で、
07年にカナダの新進気鋭の監督が製作したのが本作。
「既に人類はゾンビに慣れ親しみ過ぎてしまった感」を
極端に延長したストーリーで、この世界では
ゾンビを調教し、奴隷のように使役しています。
ヴードゥーのゾンビとしたら奴隷として使役するって目的は
確かに間違ってないんで正解っちゃ正解なんだろうけど。

そのある種のディストピアなだけに、社会に定められた
ルールの変化も面白くて、例えば葬式は高級なもので、
人間は死んだらゾンビになるのが当たり前で死後も
新たな労働力として活用されるのが常識だったり、
ゾンビ管理を怠って地域に害を及ぼした場合、
問答無用で家族全員無法地帯であるフェンスの外へ
追いやられる冷徹非情っぷり等々。

そんな倫理観の狂った世界だから、一般的に「フラグ」と
呼ばれる存在も実に曖昧で、近所の住民は結構
性格カスな人がたくさんいたりするんですが、
それにしたっても「何も死ぬことはないだろうよ!」と
いうような仕打ちをうける人物がゴロゴロいるならば、
そもそも主人公・ティミーの両親のみならず
ティミー自身も結構狂ってる部分があって、
自分たちでトラブルの火種を撒いておきながら
たまたま運良くトラブルを回避していくという、
問題の根本的解決に全くなってないことも多々有り
と に か く ひ ど い !

原題が「Fido」でティミーが名づけ親の「ファイド」こそ
本作の主人公なんでしょうけど、彼は「どこか憎めない
親近感溢れる賢いゾンビ」ってなわけで、連想するのは
「死霊のえじき」でフランケンシュタイン博士によって
調教されたゾンビ、バブ。多分これが元ネタとしての
比率を多く占めているのは間違いないと思います。
まあ何分「あー」「うー」言ってるだけのゾンビなので
実はあんまり特筆できる部分はないのですが、
驚いたのは鑑賞後にキャストのキャリアを調べた時。
ファイド役って「処刑人」のイル・ドゥーチェと
同じ人かよ!全然気づかなかったよ!

「フェンスによって隔離された箱庭」という設定を
上手く利用し、どっかしらおかしい人々を描いた
狂った脚本で低予算に撮り上げることに成功した本作は、
先に挙げた「ショーン~」や「ランド~」と、
後に続くことになる「ゾンビランド」の間に
すっぽりと収まる、近年のゾンビ映画として
実に正しい姿形をしている佳作と言えましょう。

TASUKETE!!

「エクソシスト」と「死霊の盆踊り」を
一緒に借りてみたわけですが、やっぱり
内容は全然違いましたね(当たり前)。
ていうかアカデミー賞受賞作品と
最低クソ映画を並べて語ること自体
悪魔に呪われそうな冒涜の気もしますが、
それはさておき本日は「エクソシスト」の
レビューを行いたいと思います!

シングルマザーの女優・クリスは映画撮影のため
ワシントン・ジョージタウンに滞在中、
度々屋敷の奇妙な物音に悩まされるようになる。
やがて一人娘のリーガンに奇行が目立ちはじめ、
精神科医は最初は「思春期にありがちな精神疾患」で
片付けようとするものの、彼女の精神・肉体には一切の
異常が見られず、なおも彼女の容態は悪化していく。
身の回りに不幸な事故が相次ぎ、クリス自身が
病気では片付けられない超常現象を体験することで、
クリスは藁にもすがる思いで残された手段、
教会への「悪魔祓い」を依頼することとなる。
母を救えなかった悔恨を胸に秘めた若き神父・デミアンと、
悪魔祓いのエキスパートと呼ばれる老いた神父・フリンが
命をかけ、リーガンに憑りついた正体不明の敵に挑む。
果たして最後に勝つのは神か、はたまた悪魔か―――
というのがおおまかなあらすじです。

1973年公開作品ということで、既に40年もの歳月を経た、
現在のホラーの原点の一つとも言える作品。
「果たして本当に『悪魔』と呼ばれる者が憑りついて
いるのかすらわからない」という、敵の正体不明っぷりから
ある種のサスペンス要素も合わせ持っています。

本作は「神と悪魔の戦争」という言葉でよく表されると
思うのですが、それは即ち可愛そうな犠牲者の少女、
リーガンを救うために登場人物が尽力することにあって。
母親や神父をはじめとして精神科医、外科医、奇妙な
事件を追う刑事に至るまで、「善き人であるために
自分にできることの最善を尽くす」という態度が、
物語とそれぞれの人物像に深みを与えていると思います。

作品全体を通して観ると低予算な作りなのですが、
例えばこの記事のタイトルの言葉は作中の
とあるシーンの隅の張り紙に書かれたものであり、
この「助けて」は重要な意味を持っています。
恐らく、こういった「隠れたメッセージ」やシンボルは
作中に多く散りばめられているのではないでしょうか。
また、悪魔憑きの少女、リーガンは汚い言葉を罵り、
暴れまわっては自分を傷つけ、徐々に衰弱していきます。
幼年にしてこの鬼気迫る演技はアカデミー助演女優賞に
ノミネートされたのも納得がいく出来。
これらのさりげないディティールや、作品に真摯に
取り組むキャストの気迫、それからパッケージにも
なっている有名なシーン、「屋敷前の街頭の下に佇む
コートの男」からもわかるように、カメラワークや
照明にとことん拘るスタッフの心意気、これらが
渾然一体となって一切のチープさが感じられない
素晴らしい作品へと昇華されています。

「ヴァン・ヘルシング」や「エルム街」を観た後だと
「聖水つえぇー!」ってネタにちょっと吹いちゃったり
するとこもあるけど、要するに後年の映画の聖水の扱いは
これのパロディ要素もあったりするわけで、
まあそこまで笑うこともない些細な問題です。

頭の悪い男女がセックスに興じている間に
鉈やカギ爪持った連続殺人鬼が殺しに来る
シーンなんて一切ない、真面目に楽しめる
上質な大人の娯楽作品ですので、是非観ておきたい
万人にオススメできる名作です。

もっと黄金を!もっと!もっとだー!!

今まで未見だった「エクソシスト」と
世紀の問題作「死霊の盆踊り」を同時に借りるという
暴挙に踏み切ったわけですが、最近の忙しさで
疲労と寝不足がたたった身体で観たのは
やっぱり危険だった「死霊の盆踊り」の方を
今日はレビューしようと思います。
今でも十分に観れる内容の良作だった
「エクソシスト」の方は後に回す。

ホラー小説だけがウリの三文小説化は、
墓地に行かないとインスピが湧かないと
恋人を引き連れて夜のドライブに繰り出す。
調子こいてスピード上げすぎたら事故って、
しかし幸い大した外傷もなく済んだ二人は、
真夜中の墓地で繰り広げられる、世にも恐ろしい
「死者の宴」を目撃することになるのだった…
なんて書きたてるほど実際には中身のない話。

エドウッド原作・脚本を映画化した本作は、
一時間半に亘ってパンツ一丁のお姉ちゃんが
ひたすらもっさい踊りを披露するだけの内容です。
なんか「夜の帝王」って人が楽しむために
「闇の女王」が美女の死者を蘇らせるってな
話みたいですが正直どうでもいい。

DVDのソフトから、なかのひとでさえ「こいつはヤバい」
と感じるような禍々しいオーラを発していて、
開始10分の時点でその疑念は確信に変わります。
30分経過したあたりで死にそうになるのに、
本作は1時間半ですからね!三倍死にたくなるよ!
デッキの「DVD再生時間」をチラ見したのが
今まで生きてきて一番多かった作品かもしれない。

んで、踊るお姉ちゃんたちは映画出演をエサに
ヌードモデルでも安く釣ったんかとも思えるような
顔立ちや体つきの良いおっぱいさんも意外と
多かったりするんですが、マイナス100点に
1点プラスしたぐらいじゃどうにもならないよね
というのが現実。

この手の最低映画はいかにしてつっこみどころを
探すかにシフトするのが無理らしからぬことですが、
上映時間9割が無言でお姉ちゃんがもっさい踊りを
疲労するだけなのでそれすらも厳しいという拷問。

そんな中でも会話や演出は腐るほどつっこみどころが
満載でウンザリするほどなんですが、例えば
エド・ウッド映画ではお馴染みの語り部、
アメージング・クリスウェルって人が「夜の帝王」を
演じているのですが、有名だというカンペ目線が
本当にあからさま過ぎて吹きました。
あとこの夜の帝王、誰が出てきても何はともあれ
「よし気に入った!」って言う、お前おっぱいさえ
出てれば何でもいいのかよっていう酔っ払いみたいな人。

主人公の恋人(大して美人でもないし演技がクソ)が
ある意味作品の良心みたいな存在で、エド・ウッドが
脚本となればそういう意識はしてないのが明確ですが、
「一体いつになったら墓場につくのよ!」とか
「あの音楽は何?」とか「気絶しそう」とか
観客の心境を映したかのようなつっこみが素敵。
あと、主人公たちは帝王に見つかって、「試練」と
称して柱に括りつけられて延々踊りを見せつけられる
わけですが、これってつまり観客を体現してるよね?

開始15分で早速おっぱいさんには見飽きてくるので、
次第に柱に縛られた主人公をはじめとして周囲の
ギャラリーの方に視線が行くようになるのですが、
紅白の腰巻つけて腕組みする汁男優みたいな人とか、
首を上げるとマスクの下の地肌が見えてしまう狼男とか、
ああもうなんか本当どうでもよくなってきた。

なんか既視感ある作品だなーと思ったら、
これ要するに「片腕」シリーズのムエタイダンス
(断じて「ワイクー」とは言ってやらない)を
延々1時間半やってるようなもんで。
そりゃ死にたくもなるよ。

エド・ウッド映画と違ってこれだけクソに感じるのは、
要するにこれっぽっちも映画愛が感じられない、
とりあえず裸出てりゃいいだろみたいな下劣さに
底抜けの才能の無さが加味された結果なのではと。
これがまた、エドウッド自身が監督で、
「グレンとグレンダ」のような、わけのわからない方向に
深いディティールやフェチズムの味付けがあれば、
違った作品になったのではないかと思います
(結局ダメな作品になるのはわかっているとしても)。

これ観た後だと「プラン9」とか「グレンダ」が
なんだか面白かった作品のように思えてくる不思議!
これ観た後だと「プラン9」とか「グレンダ」も
人にオススメできる作品のように思えてくる不思議!
これはもう、本当に、全然あかん。ひどい。
映画ってのは、「こういうのも好きな人いるんじゃない」
って言える要素が一つくらいはどの作品にも
あるものですが、これほど「いや、やめとけ、興味本位で
観ようと思うな」って言える作品も珍しい。

糸を引け!糸を引け!

エドウッドマラソン第二回!
今回は「グレンとグレンダ」行きますよー。

異性の衣服を着ることで性的な快感を得る
「服装倒錯者」であるが故に、世間に対し
肩身の狭い思いをし、「自分は異常者なのでは」
という疑心暗鬼に日々苦悩する者たち。
内に「グレンダ」なるもう一人の自分を
秘めたグレンを中心に、そんな服装倒錯者
たちの数々の顛末を描いて行く…
というのがあらすじ。だと思います。よ!

エド・ウッドの長編デビュー作だという本作。
ついでに当時話題の「性転換手術」という
実話を下敷きにした映画…だったのは当初の
予定で、自ら女装癖を持っていたという
エド・ウッドのカミングアウト的映画に
シフトしてしまっているというのが実情。

「性同一性障害」という言葉も耳慣れない
半世紀前に製作されたこの作品で、エド・ウッドは
ひたすらに「女装は罪ではない」「服装倒錯者と
ホモは違う」「人が言うほどアブノーマルではない」と
コンプレックスの入り混じった主張を続けるのが、
変に遠回しや湾曲した表現をしていないだけに
切実に胸に響いてきて切ないというか面白いというか。

ヤク中だったベラ・ルゴシを拾いあげ、
「なんだかよくわからない語り部」に仕立て上げたり、
無声で扇情的なシーンを延々長回ししたりとか、
「なんかちょっと勘違いしちゃったような芸術映画」の
走りを見せているのですが、何がすごいって本人は
勘違いとか狙ってるとかじゃなくて多分本気で
やってるんだろうなというところで。

70分に満たない映画だし、内情吐露かさもなくば
よくわかんないシーンしかないので書けることも
少ないのですが、でも世間一般で言われるほどの
最低映画ではないと思うのですよね。
ある意味時代がやっと追いついてきた感すらある。
そうは言っても70分ですら鑑賞中は「早く終わんねえ
かなあ」だし、不用意に持ち上げられるほど
素晴らしい作品ってわけでもないよ!
それでもやっぱり、そんじょそこらの一山いくらの
クソ映画に比べると、鑑賞後になんだか心に残る
熱いオーラやパワーみたいなものがあるし、
映画愛が感じられる、並の作品とは違うものがあります。

トロン二個分

約30年ぶりに続編が公開される、ということで
その無印にあたる「トロン」を鑑賞しましたので
本日はこのレビューを行いたいと思います!

エンコム社の重役・デリンジャーは、自社の
天才プログラマー・フリンのゲームデータを
盗用したことでのし上がった過去があった。
デリンジャーに退社に追い込まれ、今は
しがないゲームセンターのオーナーに成り下がった
フリンはその証拠を暴くべく、エンコム社の
コンピュータ中枢であるMCP(マスター・
コントロール・プログラム)へ果敢に
ハッキングを行っていた。
偶然ハッキングについて知った彼の元同僚、
アランとローラはフリンから真実を聞かされ、
自社の端末から直接ハッキングに乗り込むことに。
だが、元々バグや穴の多いプログラムだった
MCPは多くのユーザーの手により改修され、
今や膨大な知識と技術と共に身勝手で傲慢、
残忍な意識を芽生えさせるに至っていた。
MCPはハックを試みるフリンに対し、
最新技術の物質デジタル化装置を用いて
彼を電脳空間に閉じ込めてしまう。
そこにはMCPによって捕らえられた、アランの
作成した「独立型監視プログラム」トロンの
姿もあった…というのが大まかなあらすじです。

1982年、ディズニーがアメリカ・台湾合作の
下に配給したCGムービーの先駆け的作品。
エンドロールに主演ジェフ・ブリッジスの
名前があって「え?」と思わず二度見。
続編が今になって製作されたというのも、
彼が老年にして再び脚光を浴びるように
なったことも要因なのかなーと思ったりも。

「高度に発達した技術はやがてプログラムが
意識を持つまでに至り、人をも殺すようになる」
という一つのテーマは60年代、キューブリックの
「2001年宇宙の旅」でも提示されていたことであり
(SF小説なんかを遡ればもっと早い時期に源流が
あったりするのかもしれないけどわかんない!)、
同年に発表されている「ブレードランナー」や
後年の「未来世紀ブラジル」に見られるように
世はまさにサイバーパンクムーブメント!という
時代の煽りを受けたような作品ではあります。

しかし、無能な三流プログラマの作った、そして
そのバグを埋めるために膨大なストラクチャと
化した仮想空間に、自身がプログラムと化して
しまった一流プログラマと、同じく一流プログラマが
作成した優れたプログラムが狂った世界を
再構築するために戦う、というストーリーは
今でも通じる、或いは今になって更に現実味を
帯びた、温故知新な新鮮さを感じることができます。

奇才シド・ミードもデザイナーとして参加している
という(前述のブレードランナーで一躍有名になった
ことでも知られているし、この頃のミードさんは
本当に脂が乗ってたんだね!)CGデザインも、
当時のレトロさ加減を差し引いても遜色なく、
例えば「BLAME!」で知られる弐瓶勉が描くような
仮想空間のイメージとしての基盤は既に
この時点で完成していたというのが驚き。

電脳世界を舞台にプログラムが戦いを繰り広げる
という内容に対して説明的な台詞が少なく、
突き放した感もあって当時ではチンプンカンプンな
観客も多かったのではないかとも思うのですが
(反面、「最高にクールだ!」とドハマリする人も
大勢いたのもわかる)、現代にこれらのデザインや
雰囲気をそのまま持ってくるにはあまりにも
ダサ過ぎるので、この辺をどうカバーするのか
という意味や不安も込みで、俄然続編を観るのが
楽しみになってきました。
全体を通して観ると結構まったりした作品なんですが、
1時間半チョイでサクッと観れてしまう作品なので、
予習として是非鑑賞をオススメしておきたい!

電源を切れ!襲われるぞ!

さあついにやってきましたよエドウッドマラソン!
本日は「プラン9・フロム・アウタースペース」の
レビューを行いたいと思います!

アメリカの各地で空飛ぶ円盤が目撃されると同時に、
ハリウッドの墓地では死んだ者が蘇り、
人々が襲われ殺される事件が起こるようになる。
果たして宇宙人の掲げる「プラン9」とは…?
というのが大まかなあらすじ…だと思う…うん?

最低映画監督として名高いエド・ウッドが作った、
あんまりにあんまりな出来故に当時買い手が
つかなかったというエピソードで有名な作品。

宇宙人は人類に警告を発しに来ていたのだが、
お互いの言語体系の違いにより意思疎通が十分に
行われなかったことから人間は彼らの円盤に
砲撃をしてしまい、これに対して宇宙人は
人類に自分たちのアピールをするためなのか、
はたまた彼らを滅ぼすことを決めたのか
(この辺の理由はなんだか不明瞭)、
「プラン9」と称する「新鮮な遺体に電気を
流すことでゾンビを作り出す」作戦を開始する…
ってなもんで、宇宙侵略物かゾンビ・吸血鬼物
どっちかに絞れよ!と言いたくもなりますが、
鑑賞中のつっこみどころに比べればそんな
問題は野暮ってもんです。

まず一番最初の「空飛ぶ円盤」登場シーンで、
モロに見えてしまうピアノ線。
空のカキワリをバックに演技している俳優たちの
影がカキワリにうっすらと映ってしまっている。
もうこうなると、いかに画面の端々から笑いどころを
探すかにシフトするのも仕方のないことで。

エド・ウッド作品お馴染みという、かつての名優
ベラ・ルゴシが本作クランクイン中に死亡して
しまったということで、ルゴシが「森の中から
出てくる→ポーズを取る→森の中へ戻っていく」
という1シーンを延々使い回すのもポイント。
大体5~6回ぐらい使い回されています。
代役に選ばれた男はマントで口元を隠したり
後姿で登場したりするわけですが、それにしても
若く背の高い男だから最初ルゴシの代役と
気づかなかったりして、せめてその辺ぐらいは
気を使おうよ!とも言いたくもなります。

そんでクライマックスのシーンでは宇宙人が
「このまま人類の兵器の進化が行く先は
自らのみならず太陽系の破滅をも招く!」
というお決まりの台詞。
いやまあいいんですけどね。
でもこの説教が10分くらい続くの。

観た人のレビューとか見るとすごく楽しそうな
作品に思えてくるし、このレビューを見た人も
「あ、なんか面白そう」と思うかもしれない!
でも、実際に手をつけると30分経たないうちから
「あーもう早く終わんねえかな」とか思うし
全部で1時間半ないのに観賞後の消耗と疲労感が凄い!

しかしこれだけカルト的な人気があるのは、
例えば水野晴郎の「シベリア超特急」にも
言えることなんですが、スタッフ・キャストが
皆クソ真面目に仕事をこなしていて、
チープなセットから手作り感と映画愛が溢れていて
どうにも嫌いになれないというところにある気がします。
あと、オープニングの演出から「なんだか俺は
これからすごい名作を観ることになるんじゃないか」
という錯覚に陥るのも共通しています。
その後に待ち受ける戸惑いも同じだね!

なんだか嫌いにはなれないけど他人には絶対に
オススメできないし絶対に一人で観ちゃダメだけど
大勢で観ても気まずくなること請け合いという
カルトや最低映画のお手本のような作品です。

あと、エドウッド大好きティム・バートンは
本作の空飛ぶ円盤や「友好」を提示する宇宙人、
作中に出てくる「緑色の小人」といった言葉から、
「マーズ・アタック」に大きな影響を与えた
作品ではないかと思われますがどうでしょう。
プロフィール

マイケル・チバ

Author:マイケル・チバ
シルバーレイン
マイケル・チバ(b30277)
薬師寺・米(b41960)
を経て、
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